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ルアンポー・プラモート師(気づきと智慧で渇愛に打ち勝つ)2020.9月6日③

 ②から続き ダンマを学んでダンマを深く理解していきましょう。 ブッダの弟子である私達がやらなければならないことは、苦から解脱することですね、それから苦を乗り越えたところへ行かなければならないのです。苦を乗り越えるには、苦がどこから来るのか知らなければなりません。苦はタンハー(渇愛)、「欲しいということ」から生じます。私達に「欲しい」という気持ちが起った時、心はいつも苦になります。修行したいという気持ちでさえ、心は修行したいという欲に搔き回されます。心が搔き乱されることをポップ(世界が生じる)*と言います。渇愛があることは世界を生じさせます。世界があることは生まれるという事です。そして「私」というものが立ち上がってくるのです。生(せい)が生じるということは苦があるという事です。縁起**の中にある事なのです。難しくありませんよ、縁起と聞くと難しく感じますが自分の事としてて手中に納めると理解が難しいものではありません。

 私達は「欲しい」ということが生じたならば、「ただそれを眺める」わかりますか?もし欲しいという気持ちが生じたならば「欲しいという気持ち」を眺める。すると「欲しいという気持ち」は滅していきます。心がそれ以上に掻き乱されることが無くなれば心は苦ではなくなります。ただそれだけなのです。これは私たちが初めて訓練する時はとても簡単にできる修行のやり方です。心に欲しいという気持ちが起きる度に「欲しいという感情を知る」ということです。私たちの心が「欲しい」と思ったら「欲しいとう感情を知る」再び「欲しい」と思ったらまたそれを知る。これを繰り返し繰り返し練習するのです。どうですか、できそうですか?心が欲しいと思ったことを知る。お寺を予約して滞在したい***「早く予約したい」という事を知る。お坊さんが二人いたとしてダンマを聞きに来たくてお寺(のクティ)を予約しなければなりません。ダンマを聞きに来て「聞きたい」と知る。しかし聞いたならばよく分からない。飽きてしまった、家に帰りたくなった、遊びに行きたくなった。これも「したい」と知る。あるいは食事の時ですね、様々な種類のご飯が目に入ってきます。「あれを食べたい」と思う。「食べたい」と知る。自分の「~したい」に気づきを間に合わせる。これは簡単なやり方の修行方法です。私たちの「~したい」に気づきを間に合わせるや否や「~したい」という気持ちが自然に滅しています。欲しいという気持ちが滅する、欲しくて居ても立っても居られない心も滅します。居ても立っても居られない心が滅すると、心の苦は生まれません。もし、まだ居ても立ってもいられないようでしたら、苦を味わうことになります。居ても立ってもいられないということが無くなれば、心は苦ではないのです。まず初めに私達は「~したい」という気持ちに気づきを間に合わせなければなりません。欲しいものが起こる度に「~したい」に気づきを間に合わせる。この「~したい」に気づきを間に合わせる修行をいつでも実践していくのです。ダンマを聞きたいと知る、家に帰りたいと知る、食べたいと知る、寝たいと知る。恋人が欲しいと知る、裕福になりたいと知る。「~したい」が生じてくる度にその都度、知っていくのです。欲しいという事は数えてもきりがありません、山のようにあるのです。欲しいもの次第なのです。このポイントを絞って言うならば、「したいという気持ち」は良いものを見たい、音を聞きたい、匂いを嗅ぎたい、味覚を感じたい、身体の感覚が欲しい、感情が望む欲しいという感覚。私達が欲しい思うものは気分が良くなることなのです。良い形、音、匂い、味、感触。幸せを運んでくれるこれらの物が欲しい。この欲しいというこの気持ちは「Kamatanha カーマタンハー五感刺激欲***」と言います。良い気分になる感情の刺激が欲しい。良い気分になる刺激が得られたならば、気分の良いものから2種類のことが生まれます。それは「もっと欲しい」「その状態を保持したい」という事です。私達はこういうことを経験したことがありますか?例えば恋人がいたりあるいは結婚して家族がいたりして、恋人同士のあるいは家族の愛情が永遠に同じ状態であってほしい、旦那は決して妻を捨てない、妻は決して旦那を捨てない。このような状態が欲しいと思ったことはありませんか?子供は自分達と一緒にずっといてほしいと思う。そう思ったことはありますか?誰か子供は早く死んでほしいと思う人ような人はいますか?、、、もしかしているかもしれません。しかし、そういう人を見つけるのはちょっと難しいですね。しかし、実際そういう人はいます。お母さんが子供を殺してしまう場合も、あります。妊娠して子供を中絶してしまう事も子供を殺してしまう事です。死んでほしいと思うのです。

 私に起こって欲しいと思うことはKamatanha カーマタンハー 五感刺激欲と言います。心を満足させてくれるものがずっと残っていて欲しいと思う事、これはbhavatanhaバワタンハー存在欲と言います。気に入らない物事が消えて無くなって欲しいと思うことをvibhavatanha ウィパワタンハー破壊欲と言います。そういうわけで眼・耳・鼻・舌・身・意の六根の中に、それぞれ3種類の「見たいという欲」「見たいという欲が叶い気に入ったので、それを保持したいという欲」「気に入らないので消えて無くなって欲しいという欲」音・匂い・味・身体の感触・それぞれの器官に3つづつあります。3x6=18種類。タンハー渇愛は沢山ありますね。もしも細かく分けていったらもっと沢山あるでしょう。(④へ続く)

10:00-15:57


*ポップภพ (タイ語)…世界が生じる

**縁起 paticca samuppāda ปฎิจจสมุปบาท バティッチャ・サムッポバート(タイ語)

***ルアンポー・プラモート師のお寺、ワット・スゥアンサンティタームวัดสวนสันติธรรมにはクティがありお坊様が滞在できるが、とても人気が高くなかなか予約が取れないとのこと。

****渇愛の三つの欲望 Kamatanha 五感刺激欲、  bhavatanha 生存欲、 vibhavatanha 破壊欲

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