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修行道場だけで上達するのはだめですよ ルアンポー・プラモート師

法の実践を

生活に取り入れられるようにするのですよ

座って瞑想する時だけ上達する

歩く瞑想の時だけ上達すればよいのでは

ありませんよ

それ以外の時間に法の実践が出来ないのであれば

結果は出ないのです

なぜならば

一日一日のうち

座る瞑想をしたり、歩く瞑想をしたりすることに

多くの時間を使う事は出来ないからです

私達は毎日の仕事が沢山ありますからね

稲作をしていた頃の昔の人々とは違うのです

日が昇ったら仕事に行き

日が沈んだら帰ってくる

何か月かの仕事なので

一年のうち何か月も空き時間があるのです

もしも修習に興味があったのならば

沢山の時間を使う事が出来たのです

私達はこのようにすることはできません

仕事が沢山あるからです

人生が幸せかどうか

解らないのです

物が沢山ありすぎるのです

昔の人はあまり物を持っていませんでしたが

時間を沢山持っていました

私たちはこの時代に生まれたことを

選ぶことは出来ないのです

修行道場だけで上達するのはだめですよ

何をするにしても気づき(サティ)を

持っておかなければなりません

以前ルアンポーはうちわを持っていました

このようなうちわですね

ルアンポー・プラモート師

うちわで扇ぐのです

暑い時には

気持ちが良いのです

扇ぎ

そして感じるのです

うちわで扇ぐとき

このように腕のあたりを見てみます

ルアンポー・プラモート師

ロボットのようなのです

身体は一つの

動くロボットのようなものに観えるのです

「わたし」では無いのです

普通の生活にいるとき

2段階の方法で法の実践をすることが出来ます

1つ目はサティ(気づき)をもって

身体が動いていることを観る

しかし

もしも智慧が生じるのならば

智慧はほんの少しの間に生じますが

動いている身体は「私ではない」と

観えるのです

ただの物質で

ロボットの一つのようなものなのです

仏暦2566年4月29日


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