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台湾は、やっぱり親日だった

2019年10月12日に上陸し日本各地に甚大な被害をもたらした台風17号。私も何度か泥だしボランティアに行きましたが、はるばる台湾から丸森に来てくれた家族がいました東日本大震災のときに台湾が250億円もの義援金をくれてものすごく驚きましたが、今回も。なんでそこまでしてくれるのか不思議でなりません。これはお友達にならないといけないやつ!と思ってFacebookから連絡してお会いしてきました。

台南駅は、だいぶこじんまりとしていました

まずは台南駅で待ち合わせ。前日の夜にeSIMから「使い心地はいかがですか?」メール(英語)が来たので、10段階中最低の評価を付け「まったくつながらん」(英語)とコメントしたからか、台湾3日目にしてeSIMが機能するようになり無事に陳さんとお会いできました。

車の中からいろいろ案内してもらいました。まずは林商店。日本が台湾を引き揚げるとき日本人達は鞄一つで帰ることを強いられ持っていた家財道具を全部置いていったのが始まりだそうです。

そして陳さんのホームへ。古い家屋をリノベーションしてカフェをやってるんだ。若者にも挑戦させてあげたい。あっちの店は女子2人が自分たちで壁を塗って作り上げたカフェなんだと、熱く語ってくださいます。

一通りツアーが終わると、わらわらとお友達が集まってきて楽しいお茶の時間になりました。そもそもなんで僕に連絡くれたの?と陳さんがものすごく不思議そうだったので、いやそもそもなんでそんなに日本に親切にしてくれるの?と逆質問したら皆さんが「当たり前じゃん」といいます。だからそれが分からなくて不思議だから来たの(だって韓国と違いすぎる)、というと皆さんしばらく考え込んじゃいました。

すると女子その1が八田與一先生がダムを作ってくれたと言い、別の女子は日本が来る前は文明がなかったと言い、「浜辺の歌」のレコードをかけてくれた男性は「お爺ちゃんお婆ちゃんから日本統治時代は良かったって聞いてるしね」と言います。陳さんは国民党時代は音楽がなかったんだ、と言って皆さんで浜辺の歌を口ずさみはじめました。最初は日本がいなくなって喜んでたけど蒋介石の時代が酷くて後悔したんだそうです(ちなみに会話は英語。陳さんが訳してくれました)。

この人達だけかも?と一瞬思いましたが、そういえば午前中、八田與一さんダムに行ったとき駅前でお昼を食べたら日本語勉強中という男子中学生がやってきて、お婆ちゃんは日本語上手だからうらやましいんだとGoogle翻訳で教えてくれました。台湾南部は内省人が多く民進党の牙城らしいので少なくとも台南や高雄らへんは本当に親日なのかもしれないです。

じゃ。そろそろ観光しようか。台南は小さな街だから歩いて全部回れるんだ、と外に出た途端。あれ?ここって「地球の歩き方」でメインの観光スポットとして紹介されてる場所じゃん!え?陳さんって仕掛け人だったの??

街を歩いていると陳さんは次から次へと声をかけられ、私をいろいろなお店に連れて行き紹介されました。陳徳聚堂は陳さん一族の祖廟。たぶん陳さんは分家。ご先祖様を軍師として高給で雇いたいと中央のお役人が来たけれど断って農業を貫いた様子を描いたものが飾ってありました。

定番スポットの祀典武廟赤崁樓にも連れて行ってもらいました。陳さんの解説は分かりやすく街に対する愛に溢れ、ガイドブックでは分からない視点が多く大変勉強になりました。お忙しいところ、初対面なのに(Facebookでは3年つながってたけど)半日もお付き合いいただいて本当にありがとうございました。謝謝!




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