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なぜに台湾は親日なのか??

台湾旅行に向けて台湾についてお勉強中です。今回の旅行は本当に台湾は親日なのか、を確認しにいくのがテーマ。なぜなら、東日本大震災のとき台湾の皆様は桁違いの寄付をくださり、2019年の宮城豪雨のときは家族で泥だしボランティアに来てくれたりと、日本に支配された負の歴史があるはずなのに、どうしてもう1つの隣国とこんなに違うのか不思議でなりません。なので歴史をおさらいしてみました。このnoteは勉強記録です。

日本統治時代以前

マレー・ポリネシア系の原住民、中国本土から200年かけて移住してきていた泉州人、樟州人、客家はそれぞれ言語も風習も違い独自に存在して土地や支配権を奪い合う状況。政治は不在。

マラリア、ペスト、コレラ、結核がはびこり、鎮静剤としてアヘン吸引が始まり、やがて常態化。便所がないので桶に溜めた糞便を家の周辺に放り投げるなど衛生観念が脆弱。

日本統治時代

樺山資紀、桂太郎、乃木希典の最初の3人の総督時代は武力で制圧を試みるも抵抗激しく1万人もの台湾住民が犠牲に。児玉源太郎総督時代に軍政から民政となり、医者出身の後藤新平がアヘン対策などを行う。西郷隆盛の息子・西郷菊次郎は原住民を武力でなく公共事業などの仕事を保証して融和。宜蘭には今でも西郷堤防があり石碑が建っている。

お雇い外国人のウィリアム・バルトンと浜野弥四郎は上下水道を整備。その浜野の下で修行したのが八田與一。戸籍も地図もなかったので総人口も分からず税金も徴収できなかった。

その後、鉄道を敷設し港を作り、土地台帳を作って徴税基盤を作り、台湾の歴史で初めて全島の社会統合が実現。教育を通じて社会秩序がもたらされ日本語は共通言語として機能した。(以上、渡辺利夫著「後藤新平の台湾」)

台湾の人が台湾の人に向けて作った日本統治時代の映画

とは言っても、日本語で書かれた文章はバイアスがかかってるはずなので、台湾の人が台湾の人向けに作った抗日映画を観てみようと思いました。台湾映画史上最高額となる7億台湾元をかけて制作され数々の賞を獲得した2011年の映画です。

これが・・・しょっぱなからグロい。山の中に生きる原住民の首狩り族セデックがとにかく野蛮。まさかりみたいな刀でガンガン首を切り落としていく。村には何百もの骸骨が勇者の証として飾られる。日本軍に制圧されて虐げられるが、暴動を起こし女も子供も容赦なく殺戮の限りを尽くすーーフラットに観ようとしたけど、日本人可哀想だよね視点な感じでした。虚勢を張る下劣な日本人(木村祐一)出てくるし、「日本人は低賃金で働かせるしレイプする」という台詞も出てくるけど、その描写はなし。心優しい日本人(安藤政信)もいて良い日本人と悪い日本人は半々。日本語教育を受けて日本人と結婚するセデック青年は葛藤する。台湾の人の中では原住民は台湾人扱いじゃないのかも。大変興味深い映画でした。後編は闘ってるだけなので前編だけ視聴すればOKです。

この原住民は、その後高砂族と呼称されるようになり、第二次世界大戦時は高砂義勇兵としてジャングルで活躍。西郷菊次郎が話し合いで融和したのは別部族の頭領です。

中国国民党時代

日本が台湾を放棄後、中共内戦に敗れた国民党軍が上陸。大陸から来た「外省人」が、それより前に住んでいた「内省人」を統治する独裁政権が始まるーーこの時代の映画も見つけたけど20分ほどで挫折しました。市民に相互監視と密告が強制されていた1962年の台湾を描いた2019年の映画です。内省人は、そんな扱いされてたのか・・・と思ってしまう設定でした。

李登輝時代

日本統治時代に生まれた李登輝は22歳まで日本人。京都帝国大学に進むも学徒動員で少尉となり敗戦。客家の内省人だけど外省人の国民党に入党。蒋介石の息子、蒋経国総統の下で副総統に。総統になると憲法を変え、政治犯を恩赦し、血を流さずに数々の民主化を行う。ーー日本大好きな李登輝さんが親日の基盤を作ってくださったんでしょうか?

そして
1999年、台中でマグニチュード7.3の大地震が起きると日本の自衛隊が最初にかけつけ救助する様子がTVで生中継され、2007年、日本製の新幹線が開通し、2011年、東日本大震災が起きると恩返しとばかりに米国とほぼ同額で3位以下の国々とは桁の違う寄付をくださいました。石巻でボランティアをしてきた日本人として感謝で胸がいっぱいです。

2021年、台湾がパイナップルの輸出先を失ったというニュースを聞いたときは、毎朝、台湾パイナップルジュースを飲んでました。ささいな恩返しです。今でも毎朝飲んでます。

予習は完了。ずっと不思議だった、なぜ台湾は親日でいてくれるのか?ていうか、本当に親日なのか?について、現地で確認してきます。