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子どもがおやつに食べたバナナの皮を壁に飾れ


子育てなんて、教育なんて、イヤダイヤダと叫びたくなった私やあなたへ。

これは1歳の娘が、とある日の夕方、台所に立つ私へ持ってきたバナナの皮です。
それは弾けんばかりの、満面の笑みだったなあ。
おやつに与えたバナナを、娘は西日の差す窓辺で食べていた。
あら?大人しくしているな……と思い様子を伺うと、何やら懸命にバナナの皮をその小さな指先で弄って遊んでいる。
そんな彼女がひとしきりバナナの皮で楽しんだ後、嬉しそうに持ってきたのが、この縦に伸びたバナナの皮だったのです。
私は大笑いして、彼女もそんな私の様子に満足げに笑った。
バナナの皮が縦に伸びるなんて、こんな発想、私にはないよ。
美しや美し。変色やシュガースポットまでも芸術的。
そう言って私は、自分の背後にあったリンゴの木箱の食器棚にそれを飾ったのです。
それが、こちら。

「ゴミはゴミ箱に自分で捨てなさい」って言わなくてよかったじゃない。
「今ちょっとご飯作ってて手が離せないからごめんね、捨ててて」って言わなくてよかった。
あの時ちゃんと娘の嬉しそうな顔を見て、小さな手元のバナナを受けとって、広げて見て、よかったと思う。
あの時、私はフライパンの上の肉が焦げようが、味噌汁が煮えたぎろうが、どうでもよかったのです。
娘が笑顔で持ってきた、ユニークでヘンテコな、でもオリジナリティ溢れるバナナの皮を飾って、娘と大笑いすることの方が、何倍も、大事だったのよね。

私のここ最近の気に入りの写真をポストカードにするならば、迷わずこのバナナの皮、である。

新しいノートを始める時、私はいつも最初のページに何を書くか迷う。
あのペンこのペン、この色あの色と散々迷った挙句、机の引き出しから好きなポストカードを選び、ノリでベターっと貼り付ける。
どのノートにも最初のページには好きなポストカードがあった。
さながらそれはノートに自分で作った小さな窓のようだと思っていた。

ふとした時にこの小さな窓を開いて深呼吸すると、たちまち私はそのポストカードの中の世界に入っていける。

数式がぎっしり書かれた数ⅡBのノートの最初のページにはターシャチューダーの庭へ続く窓があった。
顔を寄せると青々とした緑の爽やかな香りが鼻へと入り込む。

覚えていない英単語が寄せ集められたノートの最初のページには月夜の海原へと続く窓があった。
そこからは猫のダヤンがボートで漕ぎ出す後ろ姿が見えた。

訳がわからない数字の羅列、覚えたところでなんの役に立つのか分からない英単語。
「嫌だ嫌だもう嫌だ!」と叫びだしたくなった時に、私はノートの最初のページをめくった。

そうだ。
今日のこのノートの始まりにも、私の小さな窓をつけよう。
そう、このビヨーンと伸びたバナナの皮よ。
これが、いつかイヤダイヤダと叫びたくなった私が、再び顔を上げて一歩、また一歩と足を前へ踏み出すための「窓」なのである。

子育てをしていて「イヤダイヤダ!」ってなったときは、子どもがおやつに食べたバナナの皮を壁に飾ろう。
火にかけていたフライパンを一旦置いて、沸騰するお湯はとりあえず止めて、夫が帰ってくる時間なんて忘れて、沈む夕日は明日も見れるし。

そしたらちゃんと気がつけるはず。

あなたの傍に、その手に今日のバナナの皮をぶら下げたあなたの子が、黙ってこちらを見上げてることに。
気がつけたら、2人で笑ったり泣いたり怒ったり、そんな風にしながら、そのバナナの皮をまた壁に飾れる。

そんなこんなでお気に入りのポストカードがまた増えたなら、私は次のノートの1番初めのページにそれを貼ろう。
きっとあの子が大きくなって、今よりもずっとおばさんになった私が、また新しい一冊のノートを始める時。
いつか何かに嫌だ嫌だと叫ぶかもしれないおばさんの私が、そっと覗くのは、陽だまりみたいな「今日の日」の窓だ。


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