見出し画像

僕は変か!?、変化!!、変加!!!

今回は僕の人生の転機について話したいと思います。
自分の人生の転機がいつなのか過去を遡ってみたところ、僕の転機は強烈なワクワクに出会った時、チャンスをものにした時でした。

よく「あの悔しい経験があったから今の自分がいる」という話をよく耳にしますが、僕はその経験より自分の好きを貫き通した時に道を切り開いてきたなと振り返って感じています。

僕の知る限り、強烈なワクワクに出会った転機は大きく3つありました。

1.光の国からやってきたヒーロー

1回目の転機は幼少期の頃、家にあったウルトラマンに出会ったことです。
僕には5つ離れた兄がいます。兄のために揃えられたウルトラマンのおもちゃが家に沢山あり、昭和のウルトラマンのビデオも山ほどありました。兄はそれほどウルトラマンが好きというわけではなかったようですが、僕がドはまりしてしまいました。


ウルトラマンの格好良さが衝撃的だった僕は、家にあるウルトラマンのビデオを全部見て、暇さえあればウルトラマンの本、ウルトラマンのフィギュアで遊び続けていました。


この時に外界と関わる機会を引き換えに、好きなことを執拗なまでに調べる執念を手に入れて陰キャラの一途を辿ることになりました。
みんなが興味を持っていないものが好きなことが多かったため、よく変人と思われていました。

2.自分でやると決めたハンドボール

2回目の転機は高校に進学し、部活を選ぶ際に自分の意志でハンドボール部に入ると決めたことです。

僕は小、中学校と野球部に入っていました。キッカケは友達がやっているからでした。その時の僕は野球をやりたいという思いよりも、友達と一緒にいたいという思いのほうが強かったと思います。中学に上がっても惰性で続けていた野球を、それほど意欲はないけど高校でも野球をするんだろうなと僕は思っていました。


その時に出会ったのがハンドボールでした。全くの未知の世界でしたが、試合風景の迫力、シュートを決めた時の気持ちよさが忘れられずにハンドボールに入部することを決めました。


野球部の仲間からは、「野球部の落ちこぼれがハンドボール部に入る」と言われ、悔しかった思いはありましたが、自分は確かに野球はうまくなかったしなと納得している自分もいました。


何故か、野球では活躍できない、しようとしなかった僕ですが、ハンドボールでは活躍したい、漠然と活躍できると思っていたんです。

親の言うことは聞くようにしていた僕でしたが、1つのことをやり通すべきだと言われてもその言葉が入らないくらいハンドボールにのめり込んでいきました。

そののめり込みがあったからこそ、2年次に左利きのプレーヤーが活躍する右サイドをいうポジションで右利きの僕がレギュラーを勝ち取ることができ、大きな結果を残すことができたんだと思います。
いろんな舞台に自分の足で立つことで、見える景色を大きく変えることができました。

3.WANTでCHANCEを掴む

3回目の転機は、仕事でしたいことを言い続けチャンスが来た時にものにした時です。
僕は理学療法士をしています。僕は理学療法の中でも小児の分野で活躍したいと思い大阪の病院に就職しました。


大阪の病院に就職することはできましたが、そう簡単に小児の病棟に配属になることはできませんでした。
小児の病棟に配属になるには、5年以上の経験が必要という暗黙の了解がありました。

それでも僕は小児病棟に行きたいと言い続けていました。
僕は1,2年目と回復期の病棟に配属になり、脳卒中で倒れた方々のリハビリを中心に行っていました。

2年目の時にチャンスが訪れました
その病院では毎週水曜日に症例検討会という、班員全員でその症例に対して問題点を抽出しアプローチする会が行われていました。その会に班の先輩が自分の担当の小児の子を出すことになったんです。

大勢の中でリハビリを行うため、その子は緊張して泣き出してしまい症例検討会どころではなくなってしまいました。その子がどうしたら笑顔で楽しくリハビリができるか考え、その子に対しておもちゃでの遊びを提案したり、ふざけたりするとその子は泣き止み、笑顔でおもちゃで遊びながらリハビリができるようになったんです。

子どもへの関わり方が評価され、3年目の配属異動で僕は異例の小児病棟に配属になりました。

また、小児配属になった時から、部長からPTの総会があるから一緒に行かないかと声をかけられたり、有志で開催した病院の運動会が評価され互助会の会長に推薦されたりといろんなことが起きるようになりました。

そして、「訪問リハビリで小児の分野を盛り上げたいから手伝ってほしい」と声をかけてもらえたことがキッカケで、今は訪問リハビリで退院後の人たちの生活をより良くするべく活動しています。

4.さいごに

僕の人生の転機は好きのエネルギーをフルに使って、成果に結びつけた時でした。


好きなことに対して評価された僕は運がよかったと思います。


今になって感じることは、好きだけでは乗り越えられないものが沢山あるということです。
好きは自分の中で完結することができますが、社会で必要とされるためにはそれだけではできないことが山ほどあることを知りました。

変人である僕が、好きなことを追求することで変化でき、普段経験できないことをたくさん経験することができました。
そして今、好きだけでは自分の成し遂げたいことがかなわないという現実を痛感しています。


だからこそ、好きに費やすことのできたエネルギーを乗り越えないといけない壁に集中させることが必要になっています。


今こそ好きばかりを堪能してきた僕を卒業し、

そんな自分にもっと変化を加えていきます。

後藤大樹

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?