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#21 誰が悪い訳でもないけれど…

誰が悪いってわけじゃないけれど、どうしたってイライラが止められない時がある。
ちょっとした、小さなことの積み重ね。
それはまるで水滴のよう。
どんなに小さな一滴だったとしても、それが落ち続ければ、いつしかコップは一杯になって溢れてしまう。
どうせなら全部溢れてしまえばいいのに、一滴分ずつしか溢れないから、常にコップの口からは入りきらなかった水がちょろちょろと零れ続けている。

対応策は二つある。

コップを一度空にするか。
あるいは落ちてくる水滴を止めるか。
どちらもままならないから、私は毎日イライラしている。

これは良くない。

毎日些細なことでイライラするなんて、私が怒りっぽくてダメなヤツみたいじゃないか。
そうやって自分を責めて一滴。
そんなことくらいで怒るなよ、と家族に文句を言われてまた一滴。
外部からのイライラに加えて、自分でも自分にイライラしているから、水滴は今や水滴ではなく、壊れた蛇口から常に細く流れ続ける水になってしまった。
コップからは常に水が溢れている状態。

これは…緊急事態だ。

クラ〇アンに相談だ……なんて言ってる場合じゃない。
そんな相談されても、クラ〇アンだって困ってしまう。
てなわけで、一週間に二回くらいは、真剣に家出を考える。
買い物に行くふりをして、そのままふらっといなくなってしまおうか。
洗濯物を干している途中だけど、残りの洗濯物をこのままベランダから全部放り投げて、それでそのままどこかに行ってしまおうか。
とは言えど、そんな事をする勇気のない私は、しばし何も考えなくていいように、お気に入りのマンガを読んだりして、感情の波が去るのを待つ。
小一時間もすると気持ちが落ち着いてくるので、家事を再開する。
そんな感じ。

ちなみに、『そんな事をするわけにはいかない』ではなくて、『そんな事をする勇気がない』と表現したのは、全くもってその通りだからだ。
だって、そうしたって良いのだから。
家出したって良いし、家事をほったらかしにしたって良い。怒鳴り散らしたって構わない。
そうしたいのなら、すればいいのだ。
それで私自身が困ることはない。
された側がどう受け取ってどう反応するかは、相手の問題で、私の問題じゃない。
じゃあ、なぜそうしないのか。
それは私に勇気がないからだ。
家出して……その後どうする?
ほとぼりが冷めた頃、何食わぬ顔で帰ってくるのか?
その時の家族の反応は?
毎回バカみたいに怒鳴り散らしていたら、家族に頭のおかしなヤツだと思われるかも。
家事をほったらかしにすることは簡単だけれど、それじゃあ私の存在意義がなくなってしまわないか?家族に必要とされなくなるかも。

なんて、相手の反応を妄想して、もし妄想通りだったらと思うと、何一つ怖くて行動に移せない。

結局、自分を縛り付けているのは自分自身なんだ。
今現在、目の前で起こっていることじゃなくて、『こんなことをしたら、相手にどんな風に思われるだろう?』という妄想に縛られて生きている。
まるで自作自演の茶番劇だ。
バカバカしいとさえ感じる。
それなのに、分かっていても抜け出せない。
負のループ。

どう思われたって構わない!
私は私の好きに生きる!

そう吹っ切れたらどんなにか自由になれるだろう。

でもその勇気のない私は、こうしてこの場に僅かなストレスの置き場を求めてやって来る。

悟りの道は遠い。
でも、それでいい。
だって。

だって、人間だもの!

なんつって。
なんとか自分の気持ちを宥められたところで、宴もたけなわではございますが、この辺でどろんさせていただきます。
さて、醤油を買いに行くか。

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