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人生の学び舎「荘」という言葉を公の前で使うことを、今週のNHKをもって、やめます。

さて、下沢杏奈です。皆様、いつもお世話になっております。今日は、少し大きな報告をします。少しだけびっくりされる方もいるかもしれません。でも、本質は変わりませんので、誤解なさらないように。では、はじまりはじまり〜( ※NHKというのが前面に出ていますが、宣伝ではなく、ある意味の報告です。)


私は、函館の西部地区にあるわらじ荘というところで暮らしています。他にも、みなも荘・きらく荘というところを運営しています。5月ごろから今まで約6ヶ月〜1年くらい??の荘の様子をNHK北海道オオスミディレクター(以下Dとして登場)さん達に撮っていただきました。まだみていないのですが、多分その放送で私が言いたいことを全部言ってくれていると思います。そして、このNHKの放送が、ある意味、私なりの一区切りになります。理由としては、(1)密着なので日ではなく日々を映してくれたこと。(2)荘の学生だけではなくその人を撮ってくれたこと(3)Dが撮ってくれたことという3点から、NHKのこの番組が、公で使う人生の学び舎「荘」として、何をしてきたのかを、綺麗に伝えてくれているに違いないと推測しています。詳しく知りたい方はぜひこのまま読んでください。その前に、まずは、このきっかけになるローカルフレンズを提案してくださった佐野さん、紹介してくださったセイラさん、本当に感謝しています。

わらじ荘の始まり秘話

おっと、その前になぜ私がこの場所をはじめたのかをここに記しておきます。一番最初は、大学3年生の秋です。あることがきっかけで、地域の学校を作りたくなってしまいました。当時、函館コミュニティプラザGスクエアというところで、高校生向けにお話をする機会がありました。私は当時何者でもなく(今もですが)ボランティアマンでした。そのプレゼンの後に、ある高校のボランティア部の高校生たちが目を輝かせながら、受動的なボランティアではなく、”楽しい”ボランティアをやりたいということを私にこぼしたことから全てが始まりました。私は、部活しかやってこなかった高校時代の自分を思い出し、過去の自分のためにも「よし!一緒になんかしよう!!」とLINEを交換したことを今でも鮮明に覚えています。それからバル街という函館のイベントにて、道南野菜を使った250食分のピンチョスを無印良品さんの応援を得て作りました。メニューから全て考え、当日もしっかり見届けました。(イベント当日はお酒の場なので、できることが限られていましたが)それを機に、初めて、高校って狭いんだなと思い、高校では教えてくれないことを、地域で教える場所を作りたい。でも教えるんじゃなくて一緒に学びたいと思っていました。ふと見渡すとそれは、高校だけではなく、大学もそうでした。そして、大学生向けの荘ができます。

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わらじ荘をはじめるきっかけとなったある合宿

今の私があるのは、紛れもなく木づかいプロジェクトの皆様のおかげです。木づかいプロジェクトは、私は唯一大学時代4年間足繁く通ったプロジェクトです。2016年から通ってるんですって。私がどれだかわかりますか?笑

き

下の写真は2018年に旧野口梅吉商店の格子を塗りました。当時の私は、まだここに暮らすだなんて、知るよしもありませんでした。

か

そんな木づかいプロジェクトは、今年(当時2019年)も合宿をすると聞いて、すぐに参加しました。その年の合宿のテーマは、「道南杉でつくる学生アパートメントのアイディア出しをしよう」というというようなものです。この時私は現役4年生の9月。就職先は東京に決まっていました。

木づかい合宿オープンベース

この合宿で私は、一階が地域に開かれていて、二階に学生が住める、そんな学びと暮らしが一緒になった場所があったらいいなという提案をしました。しかし、提案で終わりませんでした。この合宿に参加した私を含めて3名の学生がその晩、ある蕎麦屋さんで集まり、実際にやりたいと発言したら、その週末には、旧野口梅吉商店わらじ荘に掃除をしにいっていました。笑
そしていつの間にか就職先の内定を断って、ここに後5年はいますと大家さんに宣言して、今があります。よく聞かれるのですが、入念した計画があって、わらじ荘ができた訳ではありません。今現在と同じように、はじめながら作ってきているのです。

わらじ荘は最初「ゆる暮らすLabo」でした。ここでゆるく暮らしながら、地域と関わって行けたらいいよねというコンセプトでした。懐かしいですね。でも、今まさに原点に戻りつつあります。

というおさらいを皆さんに読んでいただいてやっと、私がなぜ人生の学び舎「荘」という名前を公の場所で使うことをやめるのか、そしてそれがなぜNHKを区切りにするのかを、お話したいと思います。すみません、長くて。

Dは日ではなく日々を大切にしてくれた

 よく、私たちはメディアの皆様にのせていただきます。最近では「なにか、動きがある日を教えてください。」と言われます。私の考えでは、動きがある日なんてものは、設定しないからこそ起きるもので、事前には、わからないものなんだし、何よりその日だけ抜き出されても困るな...と思ってしまいます。そして、なんか目立った行為をすることだけを取り上げられることへの恐怖心を、正直なところ感じます。だって、私はただのイベントや、まちづくりしてます系の場所だけにみられることへ抵抗を感じていたからです。だから、NHKに出るのも怖かったんです。でも、今回払拭されました。

 なぜかというと、まず彼らは目立った行為だけをほめませんでした。それがとても嬉しかったです。私が荘を通して伝えたいことは断片的に切り取られた日ではないのです。
むしろ目立たない会議の日々や、絶対に紙面に乗らない反省会の日々、荘内では完結できない視野を広げる活動の日々など、日ではなく、日々を大切にしたいのです。だから、荘は暮らすという機能も持たせています。それをわかってくれていて嬉しいのです。この密着形式の撮影は、なんでもない普通の日常までも映し出してくれているはずです。特別な日ももちろんだけど、普通の日々もある。それが「荘」です。ぜひ、お楽しみください。

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「荘」という場所だけが活動範囲じゃない。それ以前に、1人の人間だから。

私たちは一応「わらじ荘の学生」のという冠がついています。その社会によって付けられた事実でもあるが少し厄介な冠は、なかなか取られにくいです。いいこともありますが、取材などでは「あの家で、どんなまちづくりをしているの?」と、期待されることもあります。その度に「私たちはわらじ荘のメンバーである以前に、人間であり、荘の外の活動無くして、私たちを紹介しないでください」と、言いたい!でも言いたいだけです。でもそうやって聞かれるのは当たり前です。だって、「荘」を入り口にして入ってきた人たちは、「荘」と言うところは、まちづくりをしていると捉えている人が多いからです。その方たちは、古民家で西部地区を使ったわらじ荘という場所を舞台にした何かしたのニュースが欲しいので、そう聞くのは当たり前です。(悪いって言いたい訳じゃないので、むしろありがたいと思っていますということを一応補足として書いておきます)でも、ここで私がここでやりたかったことは、古民家をみて欲しいのではなく、そこに関わるその人を撮って欲しかったのです。

それを、うまく代弁してくれるのが、NHKのDです。Dは、とにかく「その人」を撮ってくれました。Dは、その人たちが動いたら、一緒について回って動いて取材してくれました。感動しました。そうだよそうだよ、その人ってものは、わらじ荘だけに限られない。わらじ荘はあくまでも場所の一つでしかない。ここはそういう人の拠点でしかない。だから、取材ついていってくれて、ありがとう!!って言いたい!言いたい!直接は恥ずかしいから言えないけど!笑

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「荘で何をしていますか?」と言われ続けたことでの気づき

私自身も、実は最近何がしたいのかわからなくなりました。というのは20日前の気づきです。それまで私は、「荘」という場所に囚われまくっていました。私、実は函館西部地区だけではなく、森町・七飯・江別・札幌。リモートなら東京とかの高校生向けに、いろんな授業を届けたり、お話ししたり、なんだり、しています。このnoteの一番最初に高校生の話を書きましたが、その活動を続けています。その目的は、ただその人がその人が良いと思える人生を歩んで欲しいというだけです。でも、その活動をする度に、函館西部地区でやっている活動は、みなさんが期待している「荘」という活動とは違う活動してるから、いつも発信することをやめていました。だけどだけどだけど、待てよ!!と。私は下沢杏奈として生きているのに、地域活動をする場所が西部地区に縛られてない?って気づいたのです。その時私は、西部地区にある「荘」という古民家にこだわりが特別ある訳ではないと気付きました。古民家を再生したかったのでも、函館でイベント屋さんになりたかった訳でも、地域を盛り上げたかったのではないなと。私は、私を含め、その人がその人が良いと思えるような瞬間をその人の人生に増えたらいいなと思っています。ただ、それだけです。その場所は、いい意味で、荘でも荘じゃなくてもどこだって、いいのです。

Dはそんなことわかっていたのでしょうか??すごいなD。

ということで、人生の学び舎という言葉を使うことをやめます

私が「荘」と言う場所を通して伝えたかったことは、その人にとって、どんな瞬間が、幸せなのか。どんな日々を過ごせば、自分がご機嫌でいられるのかを、少しでも自分について考えるきっかけになればと思っていました。私が生きている間、もし私とご縁があった方が望んでいれば、私が誰でも、どこでも、もし何かお話しできて、何か感じてもらえたら、それだけで、生きててよかったと思えます。それが私の使命であり、生きがいだと感じています。もっと具体的にのべるのであれば、私は「とことん自分とお話をして、自分と向き合う時間」「他人(変態)と関わる中で、自分の将来を考える時間」「自分のやりたいや、自分自身を表現する時間」を作りたいと思っていました。主に高校生〜大学生に。その時間たちを私は「学び」とよび、その学びの時間を得られる場所として、わらじ荘グループを、人生の学び舎「荘」と名付けたのでした。しかし、今やっと言語化できたように、そして、この一年半やってきたからこそ、この学びに自信があります。しかし、この学びは、うまく伝えられませんでした。そしてこの時間が学びだと言っても、多くの人にはわかりにくいものでした。そして、いつの間にか学び舎という言葉が一人歩きしてしまい、意識の高い学びたい!という意欲のある人たちだけしかこれないようなハードルの高い場所になってしまいました。私は、このまちの、この古民家を使うのであれば、人生を学びたい人だけの場所じゃなくて、より多くの、様々な人に使ってもらいたいという気持ちに変わっていきました。だから、住むとか住まないとか関係なく、いろんな人にここに関わって参画して欲しいです。だからこそ、私たち「荘」グループは人生の学び舎という言葉を、3月NHKの放送をもって、「荘」の前につけることをやめます。来る人それぞれが、学びの場所・遊びの場所・リラックスする場所・家など、いろんな目的で使って欲しいと思っています。「荘」の前には、函館をつけるか、何もつけないか、はたまた何か新しい言葉をつけるか、現在検討中です。

名前をとったからと言って、学び舎でなくなる訳ではありません。ここは自然と対話が生まれて自分を見つめ直す場所、いろんな人と会う中で、自分を知る場所、そして変態と出会える場所として、この函館で機能し続けます。私が、人生の学び舎「下沢杏奈」として生きていく限り、私がここにいる限り、続くのだと思います。

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最後に

Dと私について、です。Dは、私のことをあんなさんと呼び、私はDのことを、「D」と呼びます。笑
Dとはもうかれこれ長い中です。と言っても一年?濃かったですね。今でも思い出すのは、Dと夜中に五稜郭から函館駅まで私の相談相手になってくれたことです。そんなDは、私がわらじ荘を通して何をしたかったのかを、すごく大事にしてくれています。札幌で「実は今。。。」といって作戦会議をコソコソしたこともありますね。付き合わせてしまってすみません。笑。そんなDは、できるだけ私を主体に出さないで欲しいこととか、イベントや、まちづくりっぽく見えるところだけ切り抜いたりしないで欲しいという私のわがままに、ちゃんと答えてくれています。最初はNHKなんてヤラセなんじゃないか、とめちゃくちゃ怯えていた自分をせめています。笑ごめんなさい。そして、ありがとうございます。

さらに、Dは私たちとほぼ同じ目線で話してくれます。対等なのです。東大出身だからと学歴マウントも取りません。Dはごく自然に私たちに溶け込み、私たちを撮ってくれています。極端に言うのであれば、インスタのストーリー的な感じの映像が流れるはずです。例えがよくなかったかもしれませんが、Dが撮った動画は、私たちの「そのまんま」なはずです。

さらに、Dは、まるで荘民かのように会議に入ってきては、私たちの議論を活発にさせてくるのです。笑もう話まとまったかな?と言うあたりで新しい話題をふってきたり、深掘りしてきたりします。

なんてかまってちゃんなんでしょう。

嘘です。Dは、そうやって私たちに問いを立ててくれたことで、私たちは暮らしていては見えなかった新しい視点に気づくことができるのです。

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撮影Sarina

そんないち荘民として、汗水垂らしてDが撮った映像は、絶対に、Dにしか撮れない最高のものだと思います。そして人生の学び舎「荘」として、一つの区切りであり、新しい「荘」へのエールのような放送になるはずです。

拝啓 大隈ディレクターへ。私はあなたを心から尊敬しています。あんまり言わないし、きっとこれからも正面向かって言ったりしないかもしれないけれど、この記事にだけ、書かせて欲しいです。こんな素敵な大人の人に出会えて本当に、幸せでした。1年間、大変お世話になりました。ありがとうございました。今週末の放送、楽しみにしています。

以下、放送のリンクです👇↓

https://www.nhk.or.jp/hokkaido/articles/slug-n1e77eba7d32e?fbclid=IwAR0n5HBZnnbob6_I2r_PF1zEV4d8UkoEusT9vim3dEngCPoXT8fzWaZkhiE



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