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やりたいことがない人=愛が迷子な人は、わらじ荘という交番にきたらいい

わらじ荘の代表の下沢杏奈です。最近のわらじを見てて思うことがあって、文字にしました。

前提として、人には愛が必ずあって、それをどこかで純粋に使えなかったり、表面に現れてこれないようになっているんだと思う。

愛っていうのは、自分や誰かや何かへの暖かな綿毛みたいな"おもい"のことだと思う。

そして、その愛の使い方がわからない=やりたいことがない
という変換が行われているのではないかと気づいた。

やりたいことがないということは、自分の愛情をどうやって、誰に伝えたらいいかわからない、愛迷子状態なだけなのだと思う。

私自身も、昔から愛情を誰かに伝えると必ず期待外れなことが起きる、とか人と比べてその人の愛がもらえないと苦しいとか、親からのわかりやすい愛が欲しいとか、そういうことで、愛というものは存在しないことにしようと思っていた。

10年くらい、自分の愛とかそういう臭いものに気づかないふりをしていた。
必殺、愛隠し。

でも、その愛隠しは、大学に来て、愛を持っている人と出会い、浮かび上がってきてしまって、涙になり、もう愛に気づくことなしには生きられなくなった。

その次にじゃあ、その有り余る愛をどうするか?という話になる。

やりたいことがこれと言ってあるわけではなかった。
ので、愛が迷子になってしまって、うまく使われないからとっても困った。それがいわゆる大学卒業後の進路だと思えば思うほど重くまとわりつくものがあった。

だんだん愛が迷子になってしまった。いろんな愛のある人に会えば会うほど、自分の愛も使いたくて仕方なくて、でも愛をうまく伝えられなくて、もやもやした。

ただ、たまたま古民家が現れて、もやもやした後輩と出会って、私の愛は使われることになった。そうやってわらじ荘は始まった。

私の愛を受け取ってくれる人と場所に出会うことができた。そして、その分私に愛を下さる地域の大人の人たちに出会った。

そしてそれが結局世の中のやりたいことという文脈になっていった。

やりたくてやったのではなく、私の迷子の愛を収めてくれる場所と、その手段が降ってきてくれた。函館が好きだったわけではない。古民家を管理する人になりたかったわけでもない。

何度も言うが、やりたいことがない状態の人は、愛が迷子なだけなんだと思う。

そこでどうしようと思ってる人がもしいたら、私はその迷子の愛を受け止めてくれる人や場所や環境に出会うまで探し回ったらいいんじゃないかと思う。し、探さずとも待っていてもいいのだと思う。

それは日本中にあるのかもしれないし、世界かもしれないし、ひょっとしたらすぐ近くかもしれない。

そのタイミングを待てばいい。

わらじ荘は迷子の交番なのでは

私はその愛の送り方や、送り先をどうしようかなという人が集まって、いろいろ自然体のまま、どんな方法で愛をおくろっかなと見つめることができる場所がわらじ荘だと思っている。

まずは迷子なんです〜って言ってわらじに入れば、その交番にいる警官たちは、暖かく受け止めてくれます。まずはことほ警官に会ってください。彼女の受け止め力と明るさとパワーには頭が上がりません。その次はまっさんのところにいってみてね。ああ、推しがたくさんいます。

1.わらじにきたら、まずは自分の中にある愛を確かめることから始まる。

そう、愛隠ししている人だったら、まずはそれを表面に出すために、多くの人の愛に触れる必要がある。とおもう。わらじ荘には、愛がたくさんな人がいっぱい。脈々と愛情が語り継がれている。愛が表面にでまくってる人がたくさんいる。本当に今年は素敵な荘民が集まってるよ。

その愛情に触れ、やっと愛が表面に出てきたら、

2.次はその愛を誰に送りたいかというステップへ

とりあえず、一歩目として、わらじ荘周辺の子たちに送ってみたらいいと思う。
料理でも、マッサージでも、なんでも。

それでちょっと違ったなと思ったら、また考えたらいいと思う。


3.その範囲を広げたいかどうかというゆっくり見つけていったらいいと思う。

もっと多くの人、なのか、もっとこういう課題感を持ってる人、なのか、それとも家族なのか、それは愛を送ってみてから試行錯誤し続ければいいと思う。それが大きくなったらまちづくりとか呼ばれることもある。

4.次は愛の送り方

愛の送り方は、正直なんでもいいと思う。
肩の力を抜いて。大事なのは愛を送ることで、送り方ではない。

コーヒーでも写真でも、似顔絵でも。講演会でも。

好きなことでいい。好きなことっていうか自然といつもやっちゃってることでいいと思う。

ないなら、たぶん、なんでもいいから、そこにいたらいいと思う。

あなたがいるだけで周りの人がよろこんでくれることは実はたくさんある。

気を張らず、無理をしすぎず、自分の愛情を探って、送って、もらって、大切にしたらいいよね。

そんなゆたかな愛の実験所にわらじ荘がなればいいなと思う。

恋愛とか家族愛とかそう言う文脈だけじゃないよね、愛って。

そう言う場所になったらな、と願わなくても、最近はめっきりそうなっているように、感じる。

それはきっとそこにうごめく愛でできている。



いただいたものは、全て大切なひとに、そしてまちに、使わせていただきます。