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流れるもの。

明日、そしてまた明日。
毎日は少しずつ後ろに流れ、背中に張り付くように感じられた昨日は、やがてはるか遠くに置いてきた過去になります。

朝日が昇るのをみたことがある人は、どれほどいるでしょう。
そしてその日が沈んでいく最後に光を見届けた人は、どれほどいるでしょう。
目に焼き付けた一筋は、綺麗なものでしたか、痛ましいものでしたか。

さよなら、それではまたいつか。
少しだけ”意識”の向いた笑顔を浮かべて、その手を離す瞬間を、きっとあなたは数え切れないほど過ごしてきたのですね。
あぁ、ほら今また、この瞬間にも。きっと人生のどこかで、知らぬ間にちぎれてしまった何かにさよならを告げたはずです。

つい1秒前に浸っていた世界は、過去か未来か。
何だかわからないけれど、とてつもなく幸せな瞬間に浸って、枕に顔を埋めた深夜や朝を思い出すのではないですか。
眠っている間に、あなたの知識や情報は整理されているのだとか。
せめてあと一目、と願ったその世界は、過去なのか、空想なのか。これからやってくればいいと、私も願っています。

深夜。涙を拭いて、そしてまた涙を流す夜。
無音、という音が聞こえるような時間帯は素敵ですね。情けない姿も、痛ましい姿も、弱々しさも他人から隠してくれるような時間ですから。
でも、誰にも邪魔されず、そして誰も手を差し伸べることも、そっと背中に手を回してくれることもないのが真夜中でしょう。
自分のことを労わることができるほど、あなたは大人になったのでしょうか。

記憶、感傷。心の傷というもの。
ふとした一瞬に、頭をよぎる思い出が、そして胸を塞ぐ感情はありますか。
きっと、ありますね。なぜなら、今までずっと孤独に生きてきた人ではないから。
電車や、帰り道や、友人と笑い合う楽しい時間の隙間に、仄暗い一瞬はさらりと入ってきますね。
誰も悪くないのです。ただあなたにとって、その瞬間が善くも悪くもただひたすら大切なものだということです。


夢。希望。そんな、大層で綺麗な言葉たち。
大人になる程、目に入ってくるのではないですか。それは子供から見たサンタクロースのように、特別な存在になるからでしょうか。
日々大切に過ごすその毎日には、少しだけ荷が重い言葉なのかもしれません。
叶えようとすれば、大切に生きている毎日が否定されてしまうのかもしれない。
良いのではないですか。目に入って、素通りできないほど、眩しく素敵なものだと知っているということなのではないですか。
今目の前にある大切なものは、その光に照らされて輝いているのではないですか。


薄暗い影や、時に抱え切れないほど照らされる、今手の中にあるそれは、抱えているだけで偉いほど重いものだと感じる瞬間が、好きです。


Pexels の faaiq ackmerd による写真

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