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過去の意味は今、変えられる

#部活の思い出

小学校4年生から始めたバスケットボール。

高校3年生の夏まで、8年近く続けた。

その中でも、高校生の2年半は特に思い出深い。

特に「苦さ」は他の時代に比べて格別だ。


小学生のころ

ただがむしゃらに、ボールを奪い、ドリブルで突っ込み、とにかく全力だった。

コーチが褒めてくれるのが嬉しかった。もっと頑張ろうと思った。

チームのエースだと言ってくれて、

期待に応えようと頑張った。

小学生最後の試合は、疲労骨折していたけれど、

それでも、結果を残して、優秀選手賞をもらった。


中学生のころ

キャプテンになった。地区のかなでも弱小校だった。

強くなりたくて、うまくなりたくて、

クラブチームにも通ったり、時にはチームのメンバーに叱ったりもしてた。

ずっと勝ちたかったチームに、勝つことができた。

引退試合は涙。

でも、やり切ったと、気持ちは晴れ晴れしていた。



高校生のころ

周りのレベルについていくのが大変だった。

今まで、チームの中で みんなを引っ張っていく立場だったけど

今度は引っ張ってもらう立場になった。

頑張っても、いつも下だった。

上にいない自分に、価値が感じられなくなった。

同学年に私よりも何もかもずば抜けている子がいて

「外れればいい」

彼女の放ったシュートを見て、
心の中で確かにこんな言葉がささやかれた。

今までは気が付かなかった、醜い自分が、くっきりと見えるようになった。


ある時、ぷつんと糸が切れて、試合を早退した。

泣きながら帰った。

そこから、少しずつ練習を休むようになった。頑張るのが嫌になった。

人と比べることで、得ていたやる気が 

とても危ういものだったと思い知らされて

打ちのめされる思いだった。


それなら、そんなものなくても、

頑張れる分だけ頑張ろうと思った。

頑張れなかったら、頑張らなきゃいいと思った。


「こんな私が試合に出てもいいんだろうか?」

どんな時も、

毎日練習を欠かさないチームメイトを横目に

そそくさと制服を着て、

体育館の前を横切り、

無心で帰っていく日々が続いた。 

罪悪感が募っていく。


それでも辞めなかったのは、居場所があったから。

チームのみんなが、そんな私でも、追い出さずにいてくれたからだった。


人数の少ない部活たから、
試合に出るチャンスはこんな私にも回ってくる。

「このシュートを外したら、もう私はこのチームにはいられない。」

覚悟で打つシュートは、不思議ときれいに決まっていった。


活躍もだんだん増えていく。

真面目じゃないほど、うまくいく。

悪者になるほど、試合で集中力が増していく。

ただ、ただ、ゲームを楽しむ。


怖かった。


毎回、試合のたびに、心を奮い立たせて、

日々の罪悪感を払しょくする。


試合が終われば、また、練習を休む。
接骨院へ通うために早退する。
朝起きられなくて朝練を休む。

練習を休むことが
ルーティンになっていた。


チームメイトの心が離れていくんじゃないかっていつも怖かった。

でも、一番怖かったのは、

試合ではすべてを忘れて、

プレイができる自分の図々しさだった。

チームメイトが日々の練習で疲れて、

パフォーマンスが下がっているのを見ても、

心が痛むどころか、

少し得意げになっている自分の意地悪さ



だから、引退試合の後、みんなは大泣きしていたけど


私は正直ほっとした。


「もう、解放されるんだっ」って。


早く終わらせたかった。

勝ちたいと思わなかった。

運次第だ。

もう、悪者の自分に幻滅したくない。



引退が決まった瞬間、

みんなの流す涙が、心に痛かった。

一緒に同じ気持ちで泣きたかったけど

涙は流れてこなかった。

高校生活の大半を捧げた部活で

こんな思いを味わうとは。

整理のつかない、ザワザワとしたきもちを隠して、カメラに向かって笑顔を作った。


今でも時々夢を見る。  

思い返してみると、

一番後悔が残ったのは、

最後まで図々しさを突き通さなかったことな気がする。

仲間を裏切ってきたつけが、いつか回ってくるんじゃないか。

怯えていた。

それが来る前に、逃げてしまいたかった。


ずるくて、図々しい自分で、

最後までやり切ればよかったのに。

いい人ぶらないで。

どんなに惨めな思いをしてもいいから、

最後くらい、、、

本当の意味で、ずるくない自分でいたかった。


私のバスケットボール人生にはそこで終止符が打たれた。


でも、私の人生は続いている。

今も私は、生かされている。

バスケを辞めて4年の月日がたった。


過去には戻れない。

それなら後悔はそっと置いておこう。

これからは、人生、楽しむために生きていこう。

いつかきっと、こんな経験をしたことも、意味があったって思える時が来る。


過去の意味は、「今」、そして「未来」の生きかたで変えられる。


そう信じるしかないのだ。


私は、人生を貪欲に、楽しく生きてくための、

本当の意味での図々しさを手に入始めたんだと思う。


あのころ、自分には何が足りなかったのか?


それに気づくたびに、 

私は、私の毎日をより良くしていけるって信じてる。


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