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インドネシア滞在記⑤トイレとお風呂事情

 インドネシアに来てからというもの、宗教、文化、食事、交通事情など毎日のようにカルチャーショックを受けたものだが、大抵はいつの間にか、それなりに楽しんで適応することができたと思う。一番最初にその洗礼を浴びたのはお風呂とトイレだった。インドネシアには湯船につかる習慣がないので、正確にはお風呂ではなく「水浴び」のことである。
 パルムティガに着いて早々に「kamar mandi(カマールマンディ)は2つあるから好きなほうを使っていいよ」とニルマラに案内してもらった。カマールは「部屋」、マンディは「水浴び」という意味で「カマールマンディ」は水浴び兼トイレの部屋のことを指している。初めて扉を開けたときは、正直ちょっとびっくりした。木でできた扉の下のほうは腐っていてボロボロだし、床のタイルは剥がれていてとても清潔とは言い難く、絶対に裸足で立ち入るまいと心の中で固く誓った。2つあるなら、もう1つは少し綺麗かもしれないと淡い期待を抱いたが、もうひとつのカマールマンディはもっと汚かった。
 カマールマンディの中には和式便器が一つあり、その隣にはタイルでできた四角い大きな水槽が備え付けてあった。水が張ってあったが、水を逃がす穴がどこにもないので、底には髪の毛とか虫の死骸らしきものが積もってふよふよしていた。水槽の脇には、住人のものと思しきシャンプーやリンスが置いてあるのできっと皆ここで水浴びとトイレの両方を済ませているのだろうことはなんとなくわかったが、トイレットペーパーもなければ水を流すレバーもなく、あるのは手桶1つだけだった。
 マンディ(水浴び)の仕方はとてもシンプルでその水槽にたまった水を手桶でガンガンすくって体と頭と顔全てをジャンジャン流すだけである。もちろんお湯やシャワーヘッドなんてあるはずないのでいつでも冷たい真水をかぶる。いくらインドネシアといっても朝夕はまぁまぁな寒さだったので、いつも一発目は背中がゾクゾクしたし、底に沈んでるゴミをすくわないように細心の注意を払った。
マンディは、特にムスリムにとっては特別な意味があり、単純に体をきれいにするだけではく「清める」といった意味合いを持っている。外に出て人に会う前やお祈りの前など、みんな1日最低3回くらいマンディをしていたので、私が「お風呂は1日1回しか入らないよ」と話すと「不潔だね」とドン引きされた。
 トイレをするときは、水浴びと同じく水槽にたまった水を手桶ですくって流して、お尻を左手で洗う。私も頑張ってチャレンジしていたが、お尻を水で洗うところまではできても、びしょびしょのお尻を一体どうやってみんなが処理しているのかがわからなかった。びしょびしょのままパンツをはくのか、お尻をふって乾かしているのか、「濡れたお尻をどうしているのですか?」とは誰にも聞けなかったので結局未だに謎のままである。私はどうしても最後のお尻を乾かす工程がうまくできずに、ティッシュでお尻をふいてゴミ箱にこっそり捨てていた。そんな状況だったので、しばらくはきれいな女性と会う度に「こんなに綺麗な人もお尻を手で洗っているんだなぁ」とお尻のことばかり考えていた。一度間違えてティッシュを流してしまってトイレを詰まらせたことがあったが、「アン、もしかしてティッシュ使ってる??」と一瞬で犯人だとばれた。
 すでに日本のウォシュレットと温かい湯船が恋しくてたまらなかったが、「郷に入っては郷に従え」という言葉を自分に言い聞かせ、せめてもの救いに日本から持ってきたビーチサンダルを履き、冷たい水を思い切り全身にかぶった。






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