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音楽的美しさの本質は「調和しつつ違いがある」という矛盾である

美しさの源は「差異」

僕はアカペラをやっている。

アカペラとは、楽器を使わず人間の出す音のみで音楽をつくりだす活動である。
アカペラの基本的な構成は、リード、ファースト、セカンド、サード、ベース、パーカスだ。リードがいわゆる「ボーカル」で、それ以外はハーモニーを作り出すパートになり、ボーカルをより美しく聞こえるように音を装飾する。パーカスはリズムとノリをつくりだす役目、ベースはハーモニーとノリの両方の役目を担う。
アカペラの練習でやるのは、なるべく正しい音を発声し、なるべく正しい和音(気持ちよく聞こえる音の重なり)をつくりだすことだ。互いの声を聞き、互いと調和で来た時に美しいアカペラが完成する。
しかし、アカペラは調和を目的としながらも、実際にその美しさを生み出しているのは「差異」なのだと思う。

歌声に個性がある理由


「一人アカペラ」や「全部俺」といった動画を見たことがないだろうか。これは、上に述べたアカペラの構成を全て自分でやってしまおうという趣旨で、全て自分の声だから、それぞれのパートの音さえ合っていれば完璧な調和が生まれる。しかし、ほとんど完璧な調和が実現したそのアカペラは、普通のアカペラに比べて見劣りする。
これが「差異」の重要性を表している。

音は「波」として空気中を伝わり、音程、つまり音の高さはその波の周波数(一秒間に何回波が発生するか)によって決定される。しかし、人間は一人一人喉の構造や発声の仕方が違うため、「波の大きさ」「波形を構成する波の数」などに違いが生じる。つまり、複数人で音を出した時、例え完璧に同じ音程の音を出したとしても、聞こえ方が全く同じになることは無い。歌声に個性が生まれるの理由はこれだ。
そういった風に「違いのある音」同士のほうが我々は音楽的美しさを感じる。不思議なものだ。これは、バンドが基本的には多種の楽器を用いることとも共通している。

パーカスとベースが練習をリードする

これを踏まえて改めてアカペラについて考えてみる。
基本的に調和を目的とすることは間違いない。楽譜を見て、音楽理論、コード理論的に「正しい音」を出せるようにするのがアカペラの練習の最も基礎的な練習だ。
しかし、一人一人の持つ波の波形がそもそも違うから、周波数が完璧に合うことは難しい。そもそも、人間は機械ではないので全く同じ音を出し続けることは不可能である。「全員が同じ音を出す」ことは不可能なのだ。
すると、ここでも「差異」がでてくる。練習によってある程度和音が奏でられるが、同じ楽譜をピアノで聞いた時のような統一感を得ることはできない。どこかで「差異」と折り合いをつける必要があるわけだ。
どこで折り合いをつけるか。それは、今の所感覚でしかとらえられない。自分たちの録音を聞いてみて、直感的に「あ、これだ」となる部分を増やしていくしかない。しかも厄介なのが、自分が聞く音は自分が歌っている音と違うので(自分の声を録音したら他人のような気がする現象)録音するまで正解かどうかがイマイチ判断しにくい。


そこで最も効果のある練習方法は、パーカスやベースが音を聞いて指示する形態だ。パーカスやベースは基本的に個人技であり、全体練習時は手持無沙汰になることが多い。暇なパーカスやベースに音を聞いてもらい、指示を出してもらう事で客観的に美しい音が何か判断することができる。
もちろん音を聞き指示する側には音楽的知識や経験が必要なので、パーカスやベースはパートが違うからと甘んじるのではなく、自分がそのアカペラをつくっているんだというぐらいの意気込みで練習に挑むのが良いだろう。

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