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今日もまた海辺のエフェメラル

なぜ思い出したように海辺へ繰り出しているのか。
いつ来ても同じように海の風景だが、過去に見た海と全く同じではない。
波たつ水面は見るたびに姿を変える、そこに煌めく陽光もまた変わりゆく。
そんな風景を今日もまた撮る。
海辺はエフェメラルの言い換えであろうか。
波や水面の写真は明確にそれを撮っているはずなのに、時に何を写しているかわからなくなる時がある。具体的なモノでありながら、どこか抽象めいてくる。
たいていの写真は要素が明確で、撮影者もそれを意図していることが多いが、だからこそ(一部でも)要素を不鮮明にした写真の持つ面白さがある。
見てわかるという直截的なモノをいったん横に置く。
不鮮明というのは境界が曖昧であることと同義であろう。たとえば内部であり外部であるー写真が内心であるというのはこういったところから導ける。いわばエフェメラルな境界が新たな印象を提示する。

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