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九詰文登『植物人間の救い方』批評

九詰文登『植物人間の救い方』

yo 評

パンデミックにより人々が植物人間となってしまった世界。唯一の生き残りである玲は一人、ただ生きている。そんな世界の中に、いくつもの興味深いテーマが潜んでいるように感じました。

○ 人類への懐疑と期待
玲はパンデミックのもと、無秩序となった世界では、人は身勝手に行動することを「知って」おり、そのために自ら距離をとりながら自衛してきたところがあります。バイオハザード等の映画・ゲームでそれを知識として知った彼は、その知識を活かしながら力強く独り立ちして見せています。しかし、そこに流れる空気はあまりにも寂しく感じられます。彼自身、他人を本当は信じたい、本当は仲間が欲しいと思っているようです。

そう願いながらも、人を信頼してしまっては自分の身に危険が降り注ぎかねない。玲はその恐怖心から心を殺し、他人を基本的に敵とみなし、一人で生きていかざるを得ない状況になっています。

そんな相反する感情は、時に葛藤を引き起こします。

もしあの時自分が裏切らなかったら、今孤独ではなかったのだろうか。
もしあの時自分が助けていたら、今共に食事をする者がいたのではないのだろうか。
もしあの時自分が殺さなければ――。

信じたいのに信じられない。誰かといたいのに誰ともいられない。
しかも、他人と距離をとるとき、玲はいつも良心に反する行動をとらざるを得ません。裏切ったり、見捨てたり、殺してしまったり。

この葛藤を心の奥底に抱えている中、玲は一度鹿を撃ち漏らしてしまいます。鹿に畏怖し、撃てなかったためです。
この時の感情もわかるように思われます。
自分のこれまでの行動が決して善いものとは思われないがために、まったく罪のない鹿をこの手にかけてしまっても良いものだろうか。裏切るかもしれない人間とは違って、鹿はこちらがけしかけない限り襲ってくるわけではありません。

本作はそうした生きる者と、生きるために犠牲を強いることとの葛藤を上手に描いた作品と言えると思います。時代設定は2021年7月から翌春ごろまでを描いたもののようですが、彼の生きる世界にはおそらく出版されていないであろう一冊をご紹介したいと思います。もしこれを彼が読んでいたら、彼の行動はまた違ったかもしれません。

ルトガー・ブレグマン『Humankind 希望の歴史』(文藝春秋、2021年)

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これは7月30日に邦訳が出版されたもので、「人類は我々が思っているほど邪悪ではなく、協力的で、友好的な側面を強く持った生き物である」ということを数多の例を用いながら主張しています。特にこの中の第2章、トンガで遭難した少年たちの話は、人類の協力可能性を感じさせる物語でもあります。

ただし、この本紹介も余計なお世話かもしれません。
玲は本作の中で、確かに希望を見出しているのですから。信頼できない人とは全く異なる、新たな生命の発見によって――。

ぜひ、この続きも読ませていただきたいと思える作品でした。ありがとうございました。

山口静花 評

「重さ」、手のひらに蘇る銃の金属のつめたさ、真夏のいやな暑さにしたたる汗の感触、確かにこだまするイマジナリーフレンドの声。
この小説には「重さ」があり、ある種玲の無関心さによって世界の描写がされているように感じました。
一つ一つの文章表現が大変に硬質であり、実に静けさに満ちている。リアリティがありました。
パンデミックによって(おそらく)人類が滅亡しきってしまった世界の中で、玲は息をしている。
そこには、すでに通り過ぎてしまったかなしみ、つらさ、葛藤、がほのかに漂っており、しかしそれらがすべて、すでに終わってしまった世界が展開されています。
植物に成り果てた人間に囲まれながら、孤独に暮らす玲の姿はたくましいというよりもどこかもの悲しげです。
イマジナリーフレンド、旧世界であったなら「異常」と烙印を押されるであろう現状は、なんの違和感もなく物語の中に溶け込んでいます。

今作の中で、読者は玲の生活と世界の在り方を見つめる、観測者になります。
季節は夏から冬、そして春へと変わりゆきます。

この作品の山場、となるのは美しい鹿を狩る、そのわずかな躊躇い、食の描写にあると思います。
ここで奇妙に感じたことがあります。
自然の摂理として、弱肉強食、ピラミッドのような関係がありますよね。人間はその上で頂点に立っているわけですが、この作品内においては、その摂理が適応されていないのではと気がつきました。
玲は普段カップラーメンを食べて過ごしている人間ですが、鹿を狩ることによって肉を食らいます。この鹿は何を食べて生きているかというと、植物を食べていますよね。しかしその植物が何かと言えば、今回の場合人間になる。
玲(人間)、鹿(動物)、植物(人間)。これらの関係に名前をつけるのなら、三角関係、とも言えそうなものになっている。
ここが奇妙で面白いなあ、と思いました。

もう一点感じたのは、玲自身と世界、のこの二つの関係性と言いますか、ここにかなり距離があるように思いました。
今作は特に情報を記すために言葉が尽くされているように思います。玲の内面世界の描写もありますが、それはこの作品の中でも息を潜めているような印象を受けます。
世界が確固としてある感覚、しかしどこかでそこに玲自身は遠巻きに見つめているような解離感覚をわたしは感じました。
おそらく感情のわかりやすい表現がないこと、主観によって世界を見つめて描写をしていないことが理由だと思われます。
ここが病的でもあるのですが、妙な読解感を与えており、個人的には面白く読むことができました。

最後に、少し不可解であるな、と感じたところを述べさせていただきます。
これはネタバレになるので読む方は注意していただきたいのですが、ラストシーン、赤ん坊を発見する描写がありますよね。
元は人間であった植物から赤ん坊が生まれた、という何かありそうな締めくくりがされていますが、わたしとしては唐突である印象を拭いきれませんでした。
取ってつけたように思われて仕方がないのです。
例えばこのラストシーンを活かすのであれば鹿を狩る上での葛藤は何だったのだろう、あえて季節の移り変わりを組み込んだのはどんな意味があったんだろう、どうしても辻褄が合わないように感じられてしまうのです。
これだけ緻密に世界を練り上げておきながら、この世界には秩序がない。人間の滅びてしまった世界で秩序なんて言葉は何の意味も為さないのかもしれませんが、小説として考えたときにどうしても素晴らしい作品でしたと言い切れない不完全燃焼感を残してしまうように思いました。

批評は以上になります。読ませてくださりありがとうございました。
山口静花でした。

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批評は以上となります。
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