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【文学批評】一歩踏み込む勇気(ていさん『そういう話』【お題文学企画「8月32日」】)

ていさん『そういう話』

yo 評

周知の事実を自分だけが知らないという疎外感は、身に覚えのある人も多いのではないだろうか。世界に1人だけしかいないかのような孤独を感じるものである。それも、8月32日の新設などという、国の一大事である。その疎外感たるや非常に大きなものだろう。「誰もが皆そういう話だったじゃないか」と当然のようにふるまう中、自分だけが知らない日がやってくるとき、「私」はどうなってしまうのだろう。いや、どうもならないだろうことがまた寂しく思えるのかもしれない。

「私」が周囲に疎外感を覚えてしまう理由の一つとして、この140文字から推察されることが1つある。疑念の域を出ないかもしれない。だが、「私」は周囲とちゃんとコミュニケーションをとっているのだろうか、と感じずにはいられない。8月32日の新設について、「そういう話だったじゃないか」と言われるところまでは会話していることがわかるが、その後の「私」の行動はネットや図書館でのリサーチである。しかもその結果、「誰も解説していないし誰も話さない。」周囲に訊けば教えてもらえそうなところ、敢えて訊かず(いや、訊けずか)、自力のリサーチの結果、画面の向こうや紙の中からは誰も「話さない」ことで未だ謎は謎のままとなっている。

もしかしたらとっくに周囲にも訊いているものの回答をもらえなかったのかもしれないが、ニュースになるような大事で、かつ「私」にだけ隠すような必然性があるようにも考えにくい事柄なだけに、もう少し周囲とのコミュニケーションの余地を感じてしまうのかもしれない。

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