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安定と自由、どっちも欲しいんだ

年末年始の浮足立った雰囲気に相反するように、仕事も休みで忙しくないふとしたこの瞬間に、自分の立ち位置というか、今置かれている状況を眺める。ただただ不甲斐なくて責める私。自分はなにやってんだろうって。

一番気に病むところはお金の問題。最低限の生活はできているけれど、私の中の渇望感はいつもいつも満ち足りることはなく、もっともっとと欲しがる。というか、働かないと自分の維持費(通信費、衣服費、美容費、医療費、税金等々)払えないからさ! ※我が家は自分維持費は自分で、のルールです。

じゃあ、収入を増やせばいいのだけど、無理の効かない体でどれほど稼げるのか、ただの平凡で病気持ちの主婦、特殊技能も資格も体力もない状態でなにができるんだろう?と、日々のスキマ時間ができるとそんなことばかり考えてしまう。

私個人がものすごく「マイルド貧困」を感じているというのもある。
マイルド貧困についてはこちらを参照。いつもながら東洋経済記事は重い。 ↓

結婚してて夫が定収入あるんだからいいでしょと思われがちですけど、夫の働く職場は社保ではない国保。給料も年々上がるわけでもないしほぼ一定。額面金額も50歳でこれ!?と驚くような金額だし、ボーナスもあったりなかったりする。私も現在は国保なので出費が多くなるわけです。だから、ぶっちゃけ老後の不安しかない。

だからって悲観的に浸っていたくもないし、できるだけ楽しい方向で生き抜きたいという側面と、人生サバイバルだと厳しく思っている側面、両方がクルクルと毎日入れ替わって忙しない。

安定でありたい自分と、自由でいたい(=不安定)自分、両方欲しいんだ。安定を求めると、収入はあっても物理的に自分の時間が減り、私の中でストレスが溜まって暴発。心も体も壊れる。

自由を求めると収入が減って不安だらけになる。抑圧や喧嘩が増える悪循環になる。どっちもバランスが必要なのよね。



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