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怒らないということ

今、怒っている。

怒っているというかイライラしている。

なぜかと言うと、今週月から木まで私が毎日食器を洗っているから。
(旦那が1回も洗っていないから)

でも怒らない。小言を言わないように抑えている。

なぜか?

理由は、頼めば(おそらく)やってくれるから。
やらないのは、ただ単に別に溜めておく事を気にしない派なので、私のように 「あーあー、食器溜まってる…。」という感情がおそらく湧かないのである。

よって、私の期待する頻度で旦那が食器洗いをしていないことに対して私が怒ることは、相手に自分の理想を強要することになる。要は自分勝手なのである。

こういうことって色んな場面であると思う。

誰かに対して自分が怒っている時、それは自分の期待通りに相手が動いていないから怒っているのか、一度立ち止まって考えるように心がけている。

または、相手に何かをして欲しかったのにしてもらえなかった時。自分の意図をきちんと伝えたか、考えた方が良い。

上記ケースの場合に怒ってしまった場合、怒られた側も勝手に期待を押し付けられてモヤモヤし、ただお互い嫌な気分になるだけである。

日本の文化、または日本語という言語は、「相手に察してもらう」ことに比重を置きすぎる部分がある。

もちろんそれが素敵な部分でもあったりするが。

相手に分かるようにストレートに物事を伝えるべき場面もある。

なので、今回の食器洗いのケースも私が一言「洗って」と頼めばよい。ただ、察して欲しいという私の期待を相手に押し付けているからイライラしているのである。

……

とまあ、こんな感じで自分の考えを整理したらイライラもおさまってきた。

「怒らないということ」

「本当に怒るべき時に怒るということ」

「伝えること」

大事だと思う。

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