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「自分が常に正しいと思わない」


昔に仕入れた包丁を研ぎもせずに使っていて、刃がボロボロになっているのに、「この包丁には価値がある」と言っても、誰もそのことは認めてくれません。新しい包丁を仕入れてみたり、ピカピカに磨いてみたりしなければならないのです。切れない包丁に価値がないように、使えなくなった知識には価値がありません。だから人生には〈刃研ぎ〉が必要なのです。

岡崎かつひろ「お金に困らない人が学んでいること」p.62

この文章を考えたみた。「昔に仕入れた包丁を研ぎもせず使っている状況」とは、どんな状況が考えられるだろうか?”知識”に限らず、”考え”という範囲にも広げてみて想像してみる。

  1. 知識を1つのことにしか使えず応用できていない。

  2. 知識を1つの面からしかみていない。他の解釈の仕方を考えられていない。

  3. 古い考えを捨てられず、固執してしまっている。

私自身も、「今までこうだったからこうでなければならない、こうしなければならない」と、自分や他人に錆びた包丁を使わせてしまうことがあったと思う。ただ大抵の場合は、錆びていることにすら気づいていなかったのではないか。

では、錆びている包丁を使い続けることを防ぐためには、普段から何を心がけていけばよいのだろうか。

私は、「自分が常に正しいと思わない」 ことだと思う。

自分が正しいと思っているから、他の考え方にもオープンになれず、自分の知識・考え方がボロボロになってきていることに気づかない。

なので、誰かと何か話し合う時に私が最近意識しているのは、私の意見を述べる際、相手の意見も認知しながら話すことだ。相手の意見が自分の意見に混ぜ込めそうであれば、相手の意見にも触れながら述べる。例えば、

AさんのXYZという意見がとても良いと思いました。それに加えて、私は…[自分の意見]。

そうすると、自分の意見を押し付けるという感覚が減って、相手とも対等に話せる気がする。

私は元々自我が強めのところがあるので、今はそれを柔らかくしていこうと頑張っている。

いきなり変わることは難しいけれど、将来頼られる人間になれるよう努めていきたい。

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