「書類送付」で「犯罪の嫌疑」を薄める共同通信のネット記事

9月9日、中京テレビが下のような報道をして話題になった。

津田大介らが知事リコール問題に関して虚偽の情報を流し萎縮させたということで、告発がなされ書類送検されたというニュースだ。

これが起訴、有罪に至るか不起訴に終わるかは検察が判断することなのでここでは触れないが、直後このニュースに対し批判が出た。

元検事の郷原信郎によるものだが、

告訴・告発については、刑事訴訟法上は、受理する義務は定められていないが、犯罪捜査規範63条で「告訴・告発は、受理しなければならない」と定められていることからすると、告発が行われた場合の「書類送検」は必然であり、それ自体は、犯罪の嫌疑の存在を示すものでも、起訴の可能性も示すものでもない。

あくまで書類上の決まった手続きであり、それ自体は犯罪の嫌疑、起訴の可能性を示すものではないというわけだ。その後の共同通信による報道では書類送検ではなく「書類送付」という言葉を使って嫌疑の印象を薄めているのに対して、書類送検という用語を使って「犯罪の嫌疑」を印象付けた「中京テレビの記事には問題がある」と締めくくっている。

「書類送検自体は単なる書類上の手続きで、それ自体犯罪の嫌疑の有無や起訴の可能性とは関係ない」、それ自体は正しい。

しかし、それは何もこの事件に限った話ではなく、ずっと前からマスコミは書類送検や逮捕の段階で大々的に報じることで「書類送検、逮捕=有罪」という図式を印象付けてきた。

郷原は嫌疑が薄い人間に書類送検という用語を使ったとして中京テレビを批判しているが、それを判断するのは検察であって警察ではない。警察が起訴すべきないと意見を付けても検察が起訴することはあるし、まして直接捜査に当たってるわけでも専門家でもないマスコミがそれを判断するのは難しい。そもそも全ての被疑者は、実際に起訴され刑が確定するまではあくまで疑われているだけの立場であって犯罪者と確定したわけではない。嫌疑を印象付けて云々というなら全ての被疑者に対して慎重であるべきである。

実際、冤罪や起訴に至るほどでない軽微な行為で名誉を傷付けられ、それを回復するのが困難になった人は何人もいる。今更こんなことを問題視するくらいならもっと早く言うべきだ。

今までこうしたマスコミの姿勢を見て見ぬ振りしながら、自身と政治的立場が近い人間が関わった途端に声を大にして批判する。そうした態度の方が中京テレビより問題があるのではないだろうか。

更に問題なのは「書類送付」などという妙な用語を作り出した共同通信だ。そもそも書類送検というのはマスコミ用語で、法律上そうした言葉があるわけではない。その上で事件に際し警察が検察に書類を送ることを書類送検と呼んできた。

マスコミが使ってきた定義上、書類送検と書類送付は全く同じ手続きを指す。嫌疑が薄かろうが濃かろうが今回の件も書類送検に他ならない。軽く調べた限り、この事件以前にマスコミが所謂書類送検のことを書類送付と書いている記事は見当たらなかった。

つまり共同通信は津田大介らの悪印象を薄める為に、実際には書類送検と何ら変わりないのに書類送付などという言葉を作り出したことになる。過去の被疑者にそうした配慮はしていない以上、これは忖度以外の何物でもない。郷原は中京テレビを批判するが、相手の属性に合わせて対応を変える共同通信の方が余程問題がある。

嫌疑が薄いのに有罪かのような印象が付いてしまう原因は、マスコミがこれまで行ってきた報道に他ならない。それが問題だというならやるべきことは「書類送付」などという造語を生み出して特定の人間に忖度することではなく、自分達の過去の報道姿勢を見直すことである。



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