想像し得ない事は実現できないと言う自論

春が来たからとても気分がいい。
思い描いていたプロジェクトに参加出来ることになり、これから始まる、
いつも何か始まる前の高揚感が好きだ。

朝は大体ecoonomistのポッドキャストを聴きながら移動している。
それからは大体仕事を始めるのだけど、今日はこちらを聴き入ってしまっている。

どうしてだろう。想像が結婚と出産だけはできない。
私はどうしても昔からこの2つにおいては物凄く当事者意識がない。
結婚は絵本のように白馬の騎士がいつかやって来るくらいにしか思っていないし、出産はキャベツから生まれてきまーす。と言うような感覚しかない。

恋人も居たし、身を焦がすような恋もした。
でも、いざ結婚しようなんてプロポーズされたら、踏みとどまってしまう。

どうしてだろうか、それまでぼんやりしていたモノやコトに輪郭がしっかりと浮き出て、なぜか恋人を現実的に見てしまうのだ。

お金、家、生活、家族、etc…沢山話し合うことがあって、本当に結婚するって「好き」という感情だけではでき無いのだなと思った。
「好き」だからこそ一緒にいたいし、
”長い人生をより良く生きる為お互いのBESTを見つけていきたい”
そう話たら口をヒクヒクさせて苦笑いをした恋人もいた。

もう一人は相手の家族とどうしても分かり合えなかった。
彼は
「自由気ままな君だからいい。忙しい仕事を一緒にいる時だけは忘れられる」と言ってくれたけれど、育った環境が違い過ぎた。
所謂、富裕層と呼ばれる家柄。
私は普通っぽくなれた家庭の娘。
彼は理解してくれていたけれど、家族がそうではなかった。

この令和の時代に、女は3歩下がって歩くものよ。と、
仕事より家庭に専念するのが妻の勤め。
言葉の端々に”ソレ”が見えた。

そのままでいい。大好きな仕事を続けてもいい。と、彼にも言われたし、
家族と戦ってもくれたけれど
彼の家族とも長い付き合いになる。
彼の素敵なパーソナリティを作ってくれて一部だから
醜い気持ちを持ってしまう間がらになってしまうのであれば、結婚しないという選択も愛だろうと思い私は体のいい言葉を並べて別れを告げた。

と、ポッドキャストを聴きながらそんな事を思い出して書いてみました。

長らく続いていた恋愛時代にも2年前に恋人を最後に動きがピタリと止まり、一人も楽しいな。なんて思っていた。

しかし、親友1が結婚したり
親友2とお子さんと一緒にランチをする機会があり
なんだか、ひととあまり接触しない私が、急に人に触れ合ってしまったから
一人が寂しいように思えてきた。

もしかしたら
絵に描いたように、素敵な夫と子供がいる39歳だったかもしれない。
仕事も、あれも、これもと考えて欲張りになってしまう。
でも、「かもしれない」なんて言い出したらキリがない。

そんな時決まって不幸ぶって
想像できなことは私にできっこない。と悲観的になってしまう。

そんな事は言えども明日はやってくるし、仕事もあれも、これもやってくる。

抗わず、もうなるようにしかならないし
幸せを羨むのは、私は好きではない。

それよりもやってくる確率が高いであろう明日が少し幸せだといいなと思いたいので、夜はゆっくり眠れたらいいなと思う。



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