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術後7ヶ月 完全復帰!!!!!

ついに完全復帰、完全合流しました。年明けからほとんどやっていたので7ヶ月を前にして合流は果たせていました。
しかし「練習試合に出場」ということを完全復帰と呼ぶならばちょうど昨日です。

この「復帰の定義」は人それぞれだと思いますが、そんなことよりも試合でプレーすることが嬉しくて、楽しくてたまりませんでした。

やっぱユニホームが一番いいね

新シーズンを迎えてから徐々に皆とコンディションを上げていけたので、それがシーズン中なら厳しい部分もありましたが、逆にラッキーでした。


最初に言っておきますが、復帰はゴールではなく通過点だと思っていますので、復帰した今はもう次に向かってやっていってます。


↑前回のです。

経過

年明けからボール回し(とりかご)に参加し、徐々にポゼッション、対人系、ゲーム形式、紅白戦、練習試合と強度を上げながらこなしました。
最初にボール回しをした時、恐怖感があると思っていましたが、後述でも述べますが不安感は多少なりともありますが思っていたよりは全くでした。それよりもこれからの期待感や楽しさの方が遥かに大きくありました。

一つずつフェーズが移り強度も上がりますがそこでも膝の痛み、腫れはなくやれました。
このリハビリは一筋縄ではいかないと思いながらやっていましたが、結局ストレートでいけました。
大体強度が上がってくると怪我をした方の足を庇いプレーをして、どこか痛めてしまうケースも多くあるようです。
ですが今現在まで大きな痛み、リハビリの中断などは一度もありませんでした。

あらかじめ、こういったリハビリで痛みの出やすい箇所、出やすい動きなどを知ってうまく付き合っていけたからかもしれないです。

まだ試合時間、間隔等は調整中ですが後はもう自分次第です。

復帰後初削られは魚くんにやられました笑(このプレーではないですが)


怪我をした6月9日の夜から寝るときに数日間、あのシーンがフラッシュバックしてなかなか寝付けない日がありました。

それ以外にも、ふとした時に思い出してしまったり、変な妄想をしたり。
復帰していく過程の中で、常に心の隅に恐怖心がありました。
またやってしまうのではないか、このプレーはやばいんじゃないか、複雑な動きで芝に引っ掛かったらいってしまうのではないか。


しかし今はそんな不安感は全くありません

↑同じ怪我をした人たちが復帰する時にこぞって同じような感覚になるので焦らなくて良かったと改めて思いました。


プレーをして実際に感じることはいくつかありました。

・プレー強度の低下
・行けると思った一歩が出ない
・朝一発目のパスが詰まる 
・キレがない
・小回りが効くようになった
・リアクションが鈍い
・球際に強くいけない

ポゼッションやボール回しの練習はある程度は普通にできます。感覚も少しすれば戻ってきてやれます。
しかし紅白戦のようなゲーム形式となると話は一変します。
あり得ないようなミスを連発したり、ボールタッチがおぼついていたり。得意な形で持ってもシュートまで繋げられない。プレーテンポについていけない、etc,,,,

流石にその日は落ち込みました。(笑)


そりゃあんなに長い時間も休んでいたのだから仕方ないと割り切ってます。

逆に

凹む、落ち込む=自分に期待していた

ということなので自分はイブラヒモビッチにでもなったつもりか。と喝を入れました。




怪我のnote


今回を持ってこの怪我に対するnoteは終わろうと思います。

怪我をしてから見ていてくださった方々、少数かもしれませんがありがとうございました。
いろんな思いを持ってこのnoteを綴り始めました。個人の自己満でもなんでも、同じ怪我に苦しみ長いリハビリを乗り越える中で情報というのはあればあるほどいいと思っています。発信力や影響力は違えど、その経験はただ一つのデータにしかすぎない。と自分を肯定してここまで綴ってきました。(笑)
調べるとこの怪我についてたくさんの情報がありました。誰もが知るスーパースターから高校生や中学生、サッカーに限らず老若男女様々なスポーツをしている方の記事もありました。
その情報をうまく取捨選択をして自分の中に落とし込み、実践することでただ長いリハビリ期間ではなく、意味のある期間になると思います。
事実、ただ過ごす日々よりも密の濃い日々だったと振り返るとそう思います。
というか本当に充実しすぎてリハビリ期間はあっという間に終わっていました。先輩がおっしゃっていたことは間違いなかったです。3、4ヶ月を超えたら本当にすぐ復帰まできました。


僕は術後7ヶ月ほどで練習試合に出場できましたが、人によってまちまちです。靭帯の成熟度、強さ、可動域、腫れ、痛み、全て人によって違うので、早い人は6ヶ月も経たずに復帰、長い人は1年以上かかる人もいます。
「早ければ早いほどいい」とはいかないのがこの怪我の厄介な部分なのでこれからもうまく付き合っていきます。


リバプール所属のオクスレイド=チェンバレン選手(28)は公式戦に復帰するまでに1年間費やしたそうです。
これは怪我をした人は見た方がいい映像だと思いました。

特に負傷後の心境として、「突然忘れられた存在になったというか、自分がどうしているかなんて誰も知らない状態になったんだ」といった部分においてとても共感しました。


noteを通して

今回ノートを再開して思うことかいくつかありました。


1、サポーターの方々の応援


僕が加入してから新型コロナウイルスが世界的に蔓延したこともあり、感染防止の観点からあまり「応援される」ことに対する経験がありませんでした。そんな中、ノートを通してサポーターの方々に応援されているということを実感できました。リハビリはどうしても孤独で地味なトレーニングが多く、なかなかに厳しい戦いですがいつも応援のメッセージを受け、乗り越えられたところもありました。

試合中や勝利後に「応援されている」と感じることは大いにあります。ですがそうでない時、また今回の場合はサッカーに直接的に関わらない時にも実感しました。

それ以外にも友人の家族は友人よりも早く自分の怪我の心配をしてくださっていたり、元バイト先の店長は入院中に暇になるだろうということで「万馬券の教科書」と「パーフェクト種牡馬辞典」といった題名の本を郵送してくださりました。笑
残念ながら万馬券を当てることはできませんでしたが、牡馬の読み方を覚えることと、サイレンススズカのデビュー年に僕が生まれたという情報をゲットできました。


2、自分自身の変化


綴っていく中で変わりゆく自分の心境を、noteのおかげで客観視することができたり、曖昧だった表現が徐々に自分の中のジャストな言葉で綴れるようになったりしました。
それはノートを再開するにあたっての当初の目標の一つであった「言語化の重要性」というところに結びついてきます。正しい感情、感覚を自分の言葉で伝えることでコミュニケーションの質の向上につながると思います。(ただ、最近はジャストな言葉を探しすぎて会話のターンが終わっている。という現象が起こっている)


それに自分に向き合う時間を定期的に設けることで、冷静にフィードバックする習慣を得れました。ノートで覚悟を示すことで後に引けない状況を作り出したことも良い事の一つでした。保険ばっかり貼っているようではまだまだです。

他にも細かい良いことがたくさんありましたが割愛します。

結局誰かのためというよりも自分の中に得られるものが多かったです。
だけど膝の経過のことや怪我の詳細に関してはいつかの誰かのためになったら最高と思います。もし怪我をしてしまったらもうそれはそれで仕方のないことなので切り替えるしかないです。1日で切り替えれる人と1ヶ月かかる人では30日分の切り替えられない時間が発生するので「そこの期間すら勿体無い!」と思いましょう。口で言うのは簡単です。受け入れ難いのもわかります。

ですがその切り替えられない悔しさは存分に貯金しましょう。そしたら復帰した時のサッカーの楽しさ、ありがたみが増大します。
今僕は存分に感じています。



最後に

最後に少し真面目に語らせてください。

たくさんの人の支えによりこうして今思いっきりサッカーができています。
家族、友人、先輩、後輩、鳥取のスタッフ、チームメイト、トレーナーの方々、ファン、サポーターの方々、PTの今屋先生、執刀医の先生他にもたくさんの方々本当にありがとうございました。何気ない一言に救われることが何度もありました。

「この怪我は必ず治る。そして復帰できる」

先生に何度も言われた言葉です。
術後本当にサッカーができるか不安に思っていた日々も、少し時間はかかってしまうけど戻ってくることはできます。
もう一度言います。この怪我は治る、そして復帰できます。

怪我をした時に自分に言い聞かせてあげたいです。いや言い聞かせていたし実際に言われていたけど、信じることができないくらいにという感じでした。
本当にまたサッカーができるか不安の日々が長すぎて、勿体無いくらい時間を使ってしまいました。
全てが大袈裟に聞こえるかもしれませんが、本当にそうなんです。



前十字靭帯損傷及び内側側副靱帯損傷

この診断をくらった時正直しんどかったです。中学時代の素走りに次ぐしんどさでした。
ですがすぐに同じ怪我をした事のある蓮(山本蓮)や瑛さん(上松瑛)から連絡をいただいたり、チームへ戻ると可児さん(可児壮隆)やアキくん(秋山大地)が元同僚などに聞き入ってくれて怪我や病院のことについて教えていただきました。

またそれ以外にも裕也(田口裕也)は長文のメッセージをくれて試合で点を取ったらユニホームを掲げてくれたり、珠里(小山珠里)はチームでの出来事を、大地くん(石川大地)は膝のことを何度も電話でコミュニケーションをとらせてもらいました。

関東でリハビリをしているときは大学の同期達にも何度も助けてもらいました。同じ苦楽を共にした仲間の支えもあり向こうでのリハビリも充実していました。

勝手にたくさん名前を出してしまいました。書けなかった方々にも感謝しています。
心遣いありがとうございました。


いろいろありましたが経験してきたもの、その全てが自分の財産です。いいこともそうでないことも含めて全てがです。

怪我をして「やってらんねえ」とか「これ意味あんの?」「こんな地味なことまだやるの?」とか、「本当にこんな日々を過ごしていってよくなるのか?」と疑心暗鬼になる日々もありました。どれだけ曲げようとしても全く膝が曲がらなくて、悔しくて悔しくてたまらない夜もありました。

でもそんな時もずっと「またバードのピッチに立ち活躍したい」という一心からここまでやってこれました。

初ゴールを決めた富山戦。試合終了後、ピッチの周りを歩き勝利を分かち合うあの感じが忘れられません。

今年そういう気持ちを何回も味わえるように、味合わせるように、そしてその時にはぜひたくさんのファン、サポーターの方々が観戦に訪れることを期待して今回のノートは終わろうと思います。


本当に長い期間でしたが、皆様の支えのおかげで今があります。ありがとうございました。





色々な思いが溢れて最後の最後にぐちゃぐちゃになってまとまりがなくなってしまいましたがそれも自分らしくていいなと思いました。


これからも安藤一哉をよろしくお願いします!

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