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3.11の思い出

3.11がやってきました。noteを始めて初めての3.11。あの時をnoteに残しておきたいと思い、つづってみます。

仕事のお昼休憩中、友人とLINEをしていました。ちょっと忙しくなって予定の日が行けなくなった連絡。また調整しよう、と送った瞬間に地震がきました。休憩室のテレビをおさえる人、テーブルをおさえる人、窓側にいた私はブラインドがゆれまくっているため危険を感じ、反対の壁へ移動したいのですが、床が波うってまともに歩けません。

テレビでは地震速報が流れました。揺れも落ち着き、執務室へ戻ろうとするも、防火シャッターがおりていて普段のルートで戻れません。非常階段のセキュリティがはずされていて非常階段が使用でき、執務室もドアを開けっ放しにしてあり自席に戻りました。

携帯やPCで地震の状況を調べたり、外出中の社員に連絡をとったり、といきたいのですが、携帯はほぼ不通。ネットも集中アクセスで読み込まない状況。PCアクセスは部内ひとつに絞って、情報はフロアで共有します。

皆が心配しているのは家族の安否。お子さんが家にいた社員さんは安堵しています。ただ、ひとりになっている場合も多く、皆さん早く帰りたいのです。私は娘と連絡がとれず心配組に入っていました。

そんな中、交通網が徐々にストップしていきます。帰宅できる人は帰宅OKがでます。歩いて帰れる人、まだ動いているバス・電車が利用できる人。新幹線を利用する強者もでてきました。早く決断した人は良かったのですが、決断を迷って、乗り込んだはいいけれど閉じ込められてしまった人もいたようです。

私は歩くに歩けず、どのルートも止まっているので、社内待機組を選びました。仮眠室・保存食の開放が社内放送で流れます。代表者が保存食を取りにいって配布してくれました。

娘からメールが届きました。「家にいる。早く帰ってきて。」。後で聞いたのですが携帯のバッテリーがあがってしまい、自宅周辺は停電もあって、復旧待ちだったようです。マンション住まいだったので、近所の人たちと話すことができたのも良かったのかも。夫(今は離別)は車通勤だったので、業務をまとめて夜そこそこに帰ってこれたのですが、それまでは、ひとりで、布団をかぶっていたようです。

私の部署は明日に大きなイベントの予定があり、開催か中止かですったもんだしていました。中止が決定し、手分けして、中止の連絡します。メールを送っても届いてくれるのだろうか、メールの無い人には電話連絡しますが、つながらないケースもありました。サイトにも掲載をし、万が一イベントに来た人対応で、明日現場行きも決まりました。

そのころ、私の使う路線が再開したと連絡が入ったため、その路線を使って帰宅する人を募る声がきこえました。明日の現場対応は上長2名で行くこととなり、私は免除。「一緒に帰ります!」と手をあげて、23時30分集合を言われ帰り支度。「ああ、帰れる、連絡入れなきゃ」と娘あてにメールを送信します。

計6人。駅まで自己紹介しながら歩きます。再開したとて、どこで止まるかは不明。でも、同じ会社の人たちがいる安心感。私はその路線の終点まで行き、電車乗り換えです。バスが走っているけれど、ものすごい行列になっていることは知っていて、電車の再開待ちは賭けでした。その電車を使う人も3人いてくれたので、「再開してくれるといいね」と言うのみ。

夜は寒いです。電車も走ったり、止まったり。トイレに行きたいと思っても、ここで降りては一人になる不安で我慢していました。終点について、乗り換えの電車の改札がフリーになっていることがわかり、電車もとまっています。バスを使わなくてもよさそう。改札付近のトイレに駆け込ませていただき、いつ出発するかわからない待機中の車両に乗り込みます。

しばらくして発車時刻の案内放送が流れました。運転はするが、どこまで行けるかはわからない旨の放送も入ります。3人でいる安心感。でも、途中で2人おりて、ひとりになった時の不安感。家で待っている娘を思って、とにかく自宅最寄り駅まで走ってくれと祈るのみ。

最終電車よりも遅い時間、駅を出て走って自宅マンションへ向かいます。電気がともっている安心感。ドアを開けて、「帰ったよ~」と娘を見ると普段着のまま寝ていました。

明日(今日)は土曜日。仕事がないことが一番のありがたみ。この先、いろいろ社会の変化が訪れることは、全然予想していませんでした。

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この翌日、電車は普通に動いており、スーパーの品物も普通にあり買い出しをしました。街も普通でした。テレビの中の街だけが異世界で、どのチャンネルも(たしか某チャンネルだけ今まで通りの放送だったような)同じような映像が流れていました。

普通な土曜日から一転、日曜日には交通網のダイヤや、行先変更の発表があり、月曜日からの出社路線を変更しないとならなくなりました。

私の部署は、震災の影響をもろに受けました。それからしばらく対応に追われ、でも、誰もが「この状況だから」と理解するのです。いつ復旧するのかわからないけれど、震災の影響を受けないエリアも自粛するかどうかを迷っているようでした。

テレビでまっさきに通常番組を放送した嵐に感謝。

仕事メインの思い出ですが、この後日談もおいおい残しておきたいと思っています。

お読みいただきありがとうございました。お邪魔しました。


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