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【らくがき日記】お母さんの味を超えられる日なんか一生来ない、と思い知った。

 2021/6/13

 仕事から帰ったら、手作りのクッキーがあった。

 スノーボール。まあるくて白くて、粉雪がまぶしてあるみたいな可愛いの。それが15か20個くらい、大きめのカフェオレボウルにこんもり盛られて、テーブルの上に置いてある。

 作ったのは妹だろうな、とわたしは予想した。妹はお菓子やパンを焼くのが好きだ。帰宅して家の玄関を開けると、バターの香ばしい匂いが漂ってくることがよくある。

 わたしは母に聞いた。「これ誰が作ったの?」
すると、母はいつもと同じ声の調子で言ったのだ。
「お母さんだけど」

 えっ?お母さんだったの?
 母を二度見した。自分でもよくわからないまま、わたしはなんか、びっくりしていた。
「え、これ、お母さんが作ったの?」
「うん、そうだよ。おやつにどうぞ」

 驚いたままの頭の中で、言葉はじわじわ遅れてやってきた。そうだ、母がクッキーを手作りするなんて、いったい何年振りだろう?とにかく、めちゃくちゃ久しぶりだ。これはちょっとした事件といってもいいのではないだろうか。

「すっごい、久々だよね。お母さんがこういうの作るの」
 わたしがしみじみ言うと、母は今気づいたみたいにあっけらかんと答えた。
「そうかもねえ。いつもはみんながいるから、お母さんがやる時ないのよ」
 あ、あぁー。そうだったのか。そうかもしれない。何気ないその言葉に、ふと気付かされるものがあった。

 我が家は3人姉妹だけれど、どういうわけかみんな、台所に立つことが好きだ。料理やらお菓子やらパンやら。休みの日には誰かしらが台所を占領するし、冷蔵庫の食材をあれこれ引っ張り出しては、作りたいものを自由に試す。

 母は、わたしたちが作る料理やお菓子を、おいしいと褒めてくれる。時には売り物みたいだと、絶賛もしてくれる。いつの間にか、凝った洋食やお菓子の類は、わたしたち子供が担当するものだという、暗黙の役割分担ができあがっていた。母曰く、そういう難しいものは、わたしたちの方が上手だからーー

 な、わけがない。よくよく考えなくてもわかる。どんなに専門知識を取り入れて、資格を取って、料理のレパートリーが増えたとしても、母の料理には到底敵わない。そんなこと、わたしたちだって当然のように知っていた。毎日毎日、毎食毎食、家族のために作り続けてきた母のご飯は、科学や理論では評価することのできない、揺るぎない美味しさで確立されている。

 母は料理が上手なのだ。そしてきっと、台所に立つことも好きなはずだ。だからもし、わたしたち子供が「料理上手」とか「お菓子作りが上手い」とか言われることがあるとすれば、それはつまり、母が譲ってくれた看板にほかならない。

 飄々とズボラ主婦みたいな顔しながら、私たちに料理好きのポジションを譲ってくれた母。そしてわたしは、「譲り受ける」という言葉の意味を一段深く悟る。ただ単に才能や技術を受け継ぐことではないのだ。言葉通り、親たちは愛着のある役割の一つを「譲って」くれる。時には自ら退くことで、今度は子供が表に立てるようにしてくれる。

 だって多分、母親がものすごいプライドの高い人で、料理教える時も厳しくて、ここぞという時の出番は任せられません、みたいな人だったら。わたしたち、こんなに伸び伸び、作ることを楽しむようにはならなかったかもしれないもんね。

 全く、なんでもない顔しといて、母親というものには到底、敵わない。参っちゃうよ。

 うわー、久しぶりだ〜、と興奮しながらクッキーを眺めた。小さい頃に、手を取ってもらいながら、パウンドケーキを作ったりしたのが懐かしいなあ。今ではみんな働くようになって、家に母しかいない時間も増えた。お菓子作ろう、って思えるくらいには、生活に隙間ができたのかなって思ったらちょっと嬉しかった。

 手に取ったスノーボールはまんまるで優しい色をしている。一口、齧ると、さくほろと軽やかに崩れる。中には細かく砕いたピーナッツが混ぜ込まれていて、食感が楽しい。まだほんのり温かかった。ちょうどいい甘さの生地と、まぶされたほわほわの粉砂糖が織りなすハーモニーはあまりに柔らかで、優しい。おかあさんの味だー、と、わたしは小さな子供みたいにはしゃいでしまった。

 家に帰ったらお母さんの手作りクッキーがある生活っていいねー、なんかいいねー、とほくほく喜び続ける25歳を眺めて、母はまた飄々と笑っている。それバターじゃなくて油で作ってるからサクサクするのよ、次はくるみでやってみようと思ってるのよねー。エプロン姿で楽しそうな母に、うんうんと相槌を打つ。

 「料理上手」を譲ってくれたおかげで、わたしはすっかり「料理好き」になった。まだ「上手」では全然ないけども。だからこれからは、台所の舞台に一緒に立って行きたいなあ。いやいや、だってお母さんね、お母さんの料理は誰よりおいしいもの。まだまだ、幕を引こうとしないで、クッキーだってどんどん作ってよ。

 なんて直接は言えないから、とりあえずわたしは子供らしく、次のリクエストをしておいた。「お母さん、スノーボールまた作って欲しいー」


(まあ、お母さんがズボラであることは、れっきとした事実なんだけどね。)


※この日記のお話は数日前の出来事です。お母さんはあれから一回、それから今日も、スノーボール作ってくれました。ちゃんとくるみ入りで、今日はココナッツ入りでした。美味しかったです。ありがとう!

貴重な時間を使ってここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。