『幸福な王子』レビュー①

Oscar Wilde, The Happy Prince レビュー

ダブリンが生んだ三大作家のひとり、オスカーワイルドの書いた児童向け小説、『幸福な王子』だ。
越冬つばめが黄金色に光る王子の巨像の肩にとまった。その像には生前の、王子の魂が宿っており、つばめは王子の願いを聞く。

“Will you not stay with me for one night, and be my messenger?”

つばめは王子の願いを聞き入れる。一晩は二晩へと増えていく。つばめは、剣の束に埋め込まれたルビー、両目のサファイア、そして全身に施された金箔のすべてを一軒一軒に届けて回る。黄金色の王子は一晩にして灰色に薄汚い巨像になり、つばめは寒さに震えながら王子の足元で息を引き取った。

ここで童話、桃太郎を引き合いに出してみる。桃太郎は鬼退治の途上で犬、サル、雉を仲間にした。桃太郎はキビ団子を差し出し、それと交換に、動物たちは力を貸すのだ。いま、ワイルドのつばめと桃太郎の動物たちを比べれば、つばめが物語の主人公になり得た理由も浮かび上がるだろう。

つばめは意志で選んだ。

意志によって、南へ飛び立つか、命を懸けて王子の願いを叶えるかを、選択したと解釈することがレビューの肝になる。しかしその前に、三匹と桃太郎の等価交換に「意志」があったかを考えたい。桃太郎自身は、おじいさんとおばあさんの願いを聞き入れ、鬼退治へ向かう。恩義、忠孝の精神が旅には込められている。そこには「意志」があるだろうか。ある。義理に応えるには道徳が備わっていなければならないからだ。道徳とは「他の誰からの命令を受けたわけでもなく、また見返りを求めることでもなく、ただそうあるべきだと自ら行うこと」だとカントは述べる。また「意志の自立」とも。ひとの願いを叶えようとする姿勢には命令や見返りが欠けている。桃太郎は動物たちと比べて、道徳的判断のできる性質を備えていた。動物たちは等価交換、見返りによって契約を遂行する。だからそこには「意志」が欠けていると言えるだろう。

意志で(意志が?)選ぶことと、等価交換の間にはどのような違いがあるだろう。内発性と外発性。つまり支配か被支配かの問題だ。つばめは、自らの選択(運命?)を支配し、王子の願いを聞き入れていく。

原作に忠実に読めば、つばめが王子の下に留まる決意を固めたのは、両目のサファイアを運び終えた時だ。両目を差し出す瞬間に心を開かせる力があるのか。明日も続きを考えたい。

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