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夜行性の大学 8次元目 ー超・経済論 命短し。 恋せよ、みんな。ー

「数字は、お金の名前です」

名前を捨てても、意味は捨てちゃダメなのよ。
そのお金が、お金である由縁を。

「いくらいくら」「〇〇円」って名前が付いてなかったとしても、
「価値」を感じる事ができるか。
感じる事で生み出している「価値」。
これが数字の持つ、本当の意味。

「価値」を感じた感覚の忘却。
これが、自分の手で自らの腸をねじり続ける要因。
そして、腸ねじってる間に、価値だった数字は空に戻っちゃう。やばい。今ここ。

さあ、ここで俳句です。
もうすっごい前に読んだ感覚になってると思うけど、、
授業初めのチャイムの一句。

「ユリシスや名を捨てませう曲流る」

幸せの青い蝶、ユリシスが飛んでる。
「名を捨てましょう~」って曲が流れてきた。 なーんて。

「お金」という器に、「〇〇円」って数字、
意味と切り離された名前を乗せて次に流しました。
そして、名前が自分にまた巡ってきた。数字の意味が感じられない。
次に何をどれくらい流していいのか分からない。

だけど、数字が減るのは怖い。「多いがヨシ!」って決まってるし。
でも、必要なものは数字と交換しないと。流さないと。与えないと。
与えたくないけど、与えなさすぎると、これもルール違反らしいし。。

フワフワしたルールの中で、批判されない最低限の数字を次に流す。
だけど、なるべく手放したくないから、なるべく受け取りもしない。

「手放したくないから、なるべく受け取りもしない。」
経済はそもそも、生かし合う関係性、「人の命の流れ」だから、
この「ない、ない」に落ち着くと、命の流れが止まる。

あのさ、「超・経済」をここで開講してるのって、
今の昼行性の「経済」を批判するためじゃないし、
戦いに行ってる訳じゃ無いよね。
その闇を知って、一歩大人になって、生まれ変わった新しい光を見出す事。
つまり、「より幸せに生きていくため」に、こんな闇夜に開校してるんだよね。

命あっての経済だから、命あっての「幸せ」だから、
命をストップしちゃうのは困るのよ。

「手放したくないから、なるべく受け取りもしない。」これ。
このあり方こそが、「自主的腸のねじり」じゃん。

だから、このあり方に人を導いてしまった、
「数字」と言う名前を一回忘れてみましょうよ、って。
一回、「お金の名前」を捨てましょうよ、って。
総長白井、この講義冒頭の俳句で何気に提案してみてたんだ。。
授業の始まりに実は答え言ってる、みたいな。

つまり、「千円は千円」なんじゃなくて。

「この道ーは、いつか来たみーちー♫」的に、
「このお金は〜どこの誰から来たいつの価値ー🎵」を感じる。まず感じてみる。
自分が何を受け取っているのかを、数字を忘れて感じる。

もし、「いつかの誰かの価値」を辿ることが、もう無理ならば、
「名前を捨てて感じる」このスタート地点から、改めて経済を始めてみて。

「自分の受け取った価値」「自分が感じた喜び・楽しさ・美しさ・・・」
「今、自分が感じる『上げー⤴︎』」、今この瞬間から、これを触れる人・世界全てに流すんだよ。
自分から。今、ここから。

「価値を流す」、これ実は、数字に関係なくできる。
貨幣を使わないでも、できる。
だから数字がついてこようとなかろうと、
感じた「価値」の方を、先に「流す」行動を始めるんだよ。
お金って道具を使わないでも、経済は流れる。

あれ?この授業そのものじゃない?

総長白井が、感じてもよおして、流す。
誰かがそれに何かを感じる。そして、流す。

なんで流すんだろう?

理由は、たった一つ。

総長が「見えない諸君」から受け取ったから。

いつかの諸君が流した価値が、巡ってきたから。
そして、与えられたものが溜まったから。
いてもたってもいられなくて、もよおして、流しちゃった。

なんで?

だって、知ってる。実は皆、深いところで知ってる。
それが、自分たちの本当の喜びだと言うことを。

手放したら、増える価値。
「上げ感」。あらゆる喜び、楽しさ。
分けるほどに、増殖する価値。

「見えない諸君」は、その実態を、改めて総長に伝えてくれたんだと思う。
今、猫が感じている、この「増えてく感じ。命が動いて、生きていく感じ。」
「生きよー。」「そうだねー、生きてこー。」の無限ループ。

これなら、永遠にオッケーで、超幸せで、心安らかだし、
いろいろ自由で、やる気しかなくて、自分も幸せだなーって。
確信的に分かる。
だから総長白井、猫は、この関係性を生きようと思ったんだ。

名前を捨てて、ただ感じる。
名前がつけられる前の、そのものが何であったかを。

名前を捨てる。
感じると、名前って言葉に収まらなかった、そのものの全てがそこにあって、
それが本当の「価値」だと分かる。
その「感」が捉える「価値」こそが真の豊かさで、
「お金という器」に入れて本来流すものなんだって、腑に落ちる。

本当の価値は、受け取って溜まると、流したくなる。
流せば流すほど、増えるから。
この摂理を、見えない諸君は無意識下で共有してるよ。

価値は、感じるもの。波、振動。
流すほど、共感が広まるほど、共鳴して、広まって、その価値は増える。
分け与えていくほどに、豊かさが増える。

ねじり続けた腸から手を離すには、まず、思い出すこと。
今やっと、痛みを感じ始めたのなら、誰がか思い出して欲しいって言ってる証。

闇の自分に光が当たって、ここまで、闇を沢山見たじゃん?
じゃあ、その光の自分は何?

名前を捨てて、ただ感じる。
名前がつけられる前の、そのものが何であったかを。
あらゆる名前を抜きにした、自分は何者?

「価値」を生み出した、お金を生み出した自分に戻るんだよ。

思い出してみて。
名前がつけられる前、諸君は何者であった?
社会の中で、あらゆるタイトルが、演じる役が、自分に与えられる前、
私はなんだった?

「名前を捨てた私はなーに?」
思い出してって、闇世の向こう岸の未来の自分が言ってる。

思い出せない? これまで、見えない事にし過ぎて来た??
でも、向こう岸の自分が居なくなる事はないから。
自分が目をそらしてるだけで、いつも、目の前にいる。
まっすぐ直線最短距離の先に。
だから、焦点さえフォーカスさえ合わせられたら、
「名前を捨てた私」「私の本質」が、分かる。
生まれる前、生まれた時、ただ一つ持ってきていた「自分」だもん。
その「自分」は「私」でもあるけど、「私たち」でもあって、
その本当の自分で生きていることを喜んでくれた人や世界に、
生きるために必要な全てを、与えられて生きてきた。

で、与えられた事がが嬉しくて、また、生きようとした。

本当は、そっちの光で生きてきた。
本当はずっと、その光で生きてきたはずだから。
今、生きているのなら、その光は無くなってない。
いるよ、ここに。
今、もし死にそうでも、その光で生きてるんだよ。

あらゆる名前のない自分、ただ感じた自分は何だった?

生まれた時、嬉しかった?喜んでいた?

ここまで、何を感じて、何を受け取って「生きよう」って思った?
「死にたい。」って思っても、今、生きているのは何故?

今、本当に感じたいものは何? 流したい物、与えたいものは何?

「経済」は「活かし生かし合う関係性」のこと。
この関係性を生きることが、「超・経済」。

最初の一歩に、まず、手を取り合って、生かし合う相手は、自分。
今、闇の自分でも、光はここに生きてるよ、
生まれた時から変わってない、ただ一つの光が。
光は未来から、いつでも真っ直ぐに、手を伸ばしてる。
心の焦点をその手に合わせて、まっすぐ手を伸ばす時が来てる。

何が自分を生かしてきて、自分に今、何を与えたい?
数字も、名前も捨てて、ただ感じる。

もう一回、名前を捨てた自分で、自分の触れる世界の全てを感じてみて。
感じる事から、「価値」を生み出すところから、
未来の光に向かって手は伸びる、そうして新しい道が作られていくよ。

ここにいる諸君、皆、
感じる力だけ携えて生まれてきて、
自ずと「価値」を流して、お金を生み出して生きてきた。
誰だって皆、自分の「生み出す力」で生きてきた。
母親や父親が与えてくれたようで、
その「価値」は、実は自分が生み出してきた。
全ての世界とのつながりの流れの中で。
与えながら、生まれてきたんだ。

命は、人と人の間にあって、いつも巡ってる。
みんな、絶妙なタイミングで与え合ってる。
本当は、皆、このトキメキを知ってる。求めてるし、本当はもっと与えたい。
本当は、もっと受け取って、求めて、与えたい。

「でも、数字がついて来なかったら、、」って。
今の昼間の積み重ねを一度手放す事は「崩壊」って感じるかもしれない。
でも、空の数字が、本当の空になるもの、もう時間の問題。
だから、できる事なら急ぎ目で、次行こうよ。

今、この教室で流れに出会ってしまったのなら、もよおしてしまったのなら、
すでに一線を超えて「超・経済」始まってるから。

生まれた時、ただ一つ、持ってきていた「価値」で生きてきたじゃん。
全員、経験済みだよ。恋を遥かに超えていく、そのトキメキを思い出してこ!
もう一回、全てに感じて、全てに恋を超えた恋していくんだよ。

トキメキと恋を超えた恋心と、、それよりもっと大きな何かで
数字もお金も使わないところから全員がスタートして、
今、死にそうでも、生きて来てんじゃん。

名前を捨てても、「私」は残るよ。
数字を捨てても、お金を使わないでも、「価値」は残るよ。
どうか、その「見えない私」を生きて形にして流してみて。
「価値」は見えないからこそ、形にするのが楽んいじゃん。
想像力、創造力は、人間だけに与えられたギフトだから。

「好き」は「好き」。「綺麗」は「綺麗」。
「私」が「私」でいるだけ。

「価値」を生み出すのに、何もいらない。
光の自分、闇の自分、両方を自分の手で結んだ、一つ大人の恋をする自分でいること。

今いる世界の全て、体、命、感じられる全てに自分を任せる。

流れてきた「価値」は、流さずにいられなくなる。

流れに身を任せたら、「見えない諸君」と「全部繋がっちゃってる無意識領域」と
つながってしまうから。
「活かし生かし合う関係性」この「超・経済」の流れに自動的に参加することになるから。

巡ってくるよ。必ず。お金って器に入ってくる時もあれば、そうでない時もある。
でも、流れに乗ってるお金は、助けや応援は、「空の数字」じゃないから。
必ず、そこに感じる何かで、「生きよう」と思える。
受け取ったものが、次の流れを示してくれる。

いつも嬉しいものを受け取って、
いつも次の道が見えているのなら、
数字のあるなしは、もう関係なくない?

「名前を捨てて、自分の触れる世界の全てを感じて、溜まったら流す。
 永遠にオッケーで、超幸せで、心安らかで、
 いろいろ自由で、やる気しかなくて、自分も幸せだなーって事を、
 いつも感じて、感性フル回転で「価値」見つけて、
 それを器があろうとなかろうと、受け取ったら、表現して流す。
 次に与えていく。」
 この関係性を生きる事、これが「超・経済」です。


どう?


「・・・・・・・・・・・・・・・?????????????!。!?」


あぁ、まだ少し遠い未来かもしれないけど、また聞こえてきた気がする。
空耳だけど、いろいろ聞こえて来た。流れてきた。

では諸君のもよおしを受けて、総長白井、講義、今後も続けまーす!
長いっ!



夜行性の大学「超・経済論」終

illustration by NEKO Shiroi


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