見出し画像

やがてマサラ #16 バナーラスのネズミ夜話

みなさんこんにちは。楽しいインド案内人アンジャリです。なぜ私はここまでインドに惹かれたのか? 生い立ちから書き始めたこのエッセイ。あっちへウロウロ、こっちへウロウロ、志のある旅などとは無縁の行きあたりばったり旅暮らし。まだまだ続きます。

傷心のバナーラス

深淵をのぞくとき、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。

小学生のころ通った図書館で、分かりもしないのに読んでいた哲学書にあった、ニーチェの言葉。なにかを深く考えようとするとき、それは自分が思考しているのか、思考に自分が操られているのか。さてどちら?

画像1

カーテンなどない窓からほんのり明けゆく空が見える。一瞬、自分がどこにいるのか分からない。バンコクなのか、ビエンチャンなのか、デリーなのか、東京なのか。

遠くに聴こえるバジャン(ヒンドゥー教の神様賛歌)、誰かが圧力鍋で豆を煮るヒューッという音、空気にかすかに混じるスパイスの香り、くぐもった話し声。

ああそうだ、バナーラスにいるのだった、とすこしずつ覚醒する朝。

2002年9月。インドネシアからバンコクに戻り、えげつない夜の街の取材などをこなし、私は再びインドにいました。1997年の初インドでもっとも長居し、その後、遅咲きの初恋の人と過ごした地バナーラス。

アパートを借り、あちこち移動ばかりするのをすこし休んで、落ち着いて自分の来し方行く末を考えようという腹づもりでした。雨季の終わりのバナーラスはまだときどき大雨が降り、あちこちで洪水。

画像4

なぜ自分は好きな人の一番手になれなかったのか。なぜ、その人の心の痛みよりも自分の想いばかりをぶつけてしまったのか。

そんな気持ちを殴り書きする毎日です。書くことでなにかを整理しようとしていたのですが、書けば書くほど自分の至らなさ、そして受け入れられなかった事実がぐさぐさと刺さり、気持ちは一向に晴れてはくれません。

ベンと離れて気軽になんでも話せる相手がいなくなったこと、バンコクの歓楽街で見た人間の底知れない欲望におののいたことなどが、鬱々とした気分に拍車をかけていました。

私が滞在していたのは、階下が長期滞在者向けの宿になっている建物の、屋上にある使用人のためのペントハウスでした。ひょんなご縁で格安で借りることができたのです。

インドの平野部では暑い時期の直射日光を避けるため、お金持ちほど低層階に住みます。ペントハウスといえば聞こえはいいけれど、陽当たりのよすぎる屋上は夜明けとともにぐんぐん気温が上がり、エアコンなど文明の利器はないので日中はじっとしていられない暑さになりました。

朝の風景

9月も後半となり、雨季のあいだ水位が上がり、水に覆われていたガンジス河沿いのガート(沐浴場)の水が引けていくにつれ、夜明け前のまだ薄暗い時間に起き、細い路地裏を通って河まで行きガート沿いを散歩するのが日課になりました。

私はバナーラスのこの夜明け前の、人々がもそもそと動き始める気配がする時間をこよなく愛しています。世界になにが起きようとも朝は来て、お天道様は昇り、また新しい1日が始まる。薄曇りでも、雨でも、分厚い雲の上には必ず太陽がいる。

行きつけの露天のチャイ屋に陣取り、ようよう明けゆく空を眺めながらちびちびとチャイを一服。名前も国籍も知らないけれどなんとなく毎日顔を合わせる旅行者の知り合いもでき、河の向こうに登る朝日を眺めては、ぐるぐる回る同じ後悔を持て余す。

画像7

毎朝通ったチャイ屋の店主は「ラマグル」と皆に呼ばれ親しまれていた、苦味走った渋いブラフマン(バラモン僧)。数年前から何度も訪れ、このときはこんなに毎朝通っていたのについに私の名前は覚えてくれず、いつも『ジャパニ(日本人)』と無愛想に呼ぶわりに、ときどき「今日はスペッシャル、ノーパニだ」と硬派な優しさを見せてくれるオヤジさんでした。

ノーパニ(水なし)とは、ミルクだけで作った濃厚なチャイのことです。牛乳はけっこうな高級品なのでこのあたりの安チャイ屋は薄めに薄めて使うのですが、なにかしら臨時収入のお布施があったりすると贅沢バージョンのチャイを振る舞ってくれるのでした。

画像13

何番目だったか忘れたけど、ラマグルのお嬢さんの写真が一枚だけ出てきました。毎朝毎朝、挨拶代わりに「神様ポストカード買う?」と声をかけてはちょこんと隣に座ってきた彼女もいまは子持ちのお母さん。

画像5

このラマグルも何年か前に鬼籍に入ったと人伝に聞きました。不思議と悲しさはなく、きっとまたどこかで会えるような気がしています。

画像4

すっかり日が昇ると、今度はベンガリートラと呼ばれる路地裏へ移動します。途中、100メートル手前からでも私を見つけて視線をロックオン、ニコニコ待っている足のない物乞いのおじいさんに小銭をあげて、いくつかある旅行者向けの食堂へ行き、だらだらと朝ごはんを食べていたらあっという間にお昼過ぎ。

画像6

午後はバナーラス・ヒンドゥー大学近くの野菜市場に行き、夕飯の材料などを買い、疲れてチャイなど飲んでいたらもう夕暮れの時間。食事の支度をして、食べて、本を読んだり駄文を書き連ねていたら夜。

自分史上、もっとも生産性に欠ける愛おしき日々でした。

画像12

画像8

冬がやってきた

バナーラスのある北インドには冬が来ます。10月〜11月の光の祭りディワーリー。

前年に避暑地シムラーで迎えたしっとり落ち着いた優しいディワーリーとは違い、祭りといえばすべてのエネルギーをつぎ込むバナーラス人たちのディワーリーは、銃撃戦でも起きているのかと思うような花火と爆竹の饗宴で騒々しく終わりました。

画像12

画像12

画像13

ディワーリー後は日に日に気温が下がっていきます。12月に入ると朝の気温がひと桁になることもありました。白い息を吐きながら変わらず朝のガートの散歩をし、チャイ屋で朝日を見て、おじいさんに小銭をあげ、同じ毎日。

夏の暑さを基準に建てられているインドの家屋は、窓を閉めても遠慮なしに寒気が忍び込んできます。夜は薄いブランケットだけでは震える寒さで、見かねた友人が「かわいそうだから」と貸してくれた寝袋だけが私を温めてくれました。

この心優しき友人とは、当時バナーラスでカフェオープンのために奮闘し、のちにホテル経営にも着手、そしてデリーにて外交官として活躍した杉本昭男さん。私のインドにおけるライフライン氏で、ピンチのとき泣きついては助けてもらった恩人です。このころ出会い大いなる影響を受けた我がインド師匠も昭男くんの繋がり。そして今も引き続きお世話になっておりますいつもいつもいつもほんとうにありがとう。

侵入者との仁義なき闘い

すきま風が吹きすさぶ召使いハウスでしたが、それでも屋外よりはマシなのか、いつからか我が家にはネズミが入ってくるようになりました。台所の壁に排水用の穴が空いており、夜間にそこから入って来るのです。

そして、値段が高いトマトやカリフラワー、日本から友人に送ってもらった麺類など貴重な食材を、ガリガリと容赦なく食い散らかしていきます。友人宅で冷蔵庫は保冷ではなくネズミから食材を守るためのものだと知りましたが、慎ましい我が家には冷蔵庫はありませんでした。

台所仕事のあと排水口を塞いでおいてもおそるべき団結力でみごと侵入してきますし、食料を厳重に段ボール箱にしまっておいても、箱をかじって中身を荒らされます。ジャガイモやタマネギなど安い食材には手を出さないのが実に憎らしいところでした。毎日がネズミとの闘いです。

大家さんが仕掛けてくれた罠は、ネズミを捉えはしてもとどめはささず、殺生を嫌う誇り高き聖地バナーラス人たちは家から離れた場所に放しにいくだけで、ネズミたちはやがて元の居心地のよい我が家に戻ってきます。

そして生まれる連帯感

「もういっそペットだと思って飼えば?」

ときどき私の生存を確認しに来てくれる昭男くんにはそのようにいわれました。ドブネズミとは違い小さいラットなので、確かにモルモットのように思えなくはありません。

1年間も引きずっていた失恋のショック。寒さと孤独と将来が見えない絶望感で、なんだか日に日にネズミたちが可愛らしく思えてきました。

ネズミたちはいつも数匹のグループで動きます。排水口を塞がずにいるとほぼ毎晩夕闇とともにやってきて、どんどん私に慣れ、夕飯を食べたり、薄暗い裸電球で読書に勤しむ私のすぐそばを大胆にもチョロチョロと動き回るようになりました。

そうか。わたしゃ、ここまできたか。あれは父親、母親、子どもたちかな。こうなったら、ネズミ一家と共存もよかろう。昭男くんの言葉通り、なかばペット的な愛着すら感じはじめたのでした。

美しき同衾

そんなある夜。

空間だけはあるので、ベッドを2台寄せてキングサイズにした巨大な寝床には、マットレスふたつを覆うように大きなシーツを敷いていました。寝相があまりよくない私はふたつのマットレスをずらしてしまい、間にあいた隙間に挟まって眠っていることがよくありました。その夜も薄いシーツの下にマットレスの隙間が20センチほど開き、うつ伏せの顔が隙間に挟まった状態で眠っていました。

チュウチュウチュウ。

すっかり聞き慣れたネズミたちの鳴き声がしました。ネズミ一家、うるさいからそろそろ寝てくれないかしら。

チュウチュウチュウ。

なんだかいつもより鳴き声が近いな。

チュウチュウチュウ。ガサゴソガサゴソ。

頬にくすぐったいような感触。

チュウチュウチュウ。ガサゴソガサゴソ。

気づけば心地よい温もりを感じていました。慣れるにもほどがあります。ネズミたちは私の寝床に侵入し、おそらく適度な湿度と温度があるのであろうマットレスの隙間にいました。シーツ一枚隔てた下で、ネズミ一家が暖をとっている。寒さがしんしんと心に沁み入る夜でした。

その冬はたびたびそうやってネズミ一家と過ごしました。ネズミたちの温もりを感じるとき、彼らもきっと私の温もりを感じていたはずです。

画像9

【おまけ】
2019年に添乗で訪れた際に撮った動画をまとめたショートムービー風動画。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?