生きる力を育てること: 『シークレット・スーパースター』と印日リアル若者像
2017年の大ヒット作『シークレット・スーパースター』がいよいよ8月9日(金)に日本公開ですね。
様々なジャンルがあり、映像も脚本も超インド「ド」ローカルから一線を画すレベルになったいま、もはや「インド映画」という分け方は雑すぎるというか、あまり意味がないからそろそろ卒業しませんか……ということをまずは記しておきたい。
この作品は、抑圧され自由に夢見ることがままならない少女が、PCとYoutubeというツールを手に入れ、匿名で歌を発信することにより多くのファンを掴みスーパースターになっていくという話。
少女の成長物語であり、昨今インド映画で盛んなウーマンエンパワーメントの王道であり、力を与え見守る側もまたヤサグレ人生から脱却していくという、愛してやまない『スパイダーマン:スパイダーバース 』とくしくも同じテーマ。
結末はだいたい読めるけどその過程に魅せられる、そんな作品です。
ヒロイン役女優の引退表明
日本公開のタイミングで、現在インドでは、さあこれからというヒロイン役の18歳、ザーイラー・ワスィーム(Zaira Wasim)が、先日「宗教的信仰心の妨げになるから」という理由で女優引退を表明し、大きな話題になっています。
'Dangal' actress Zaira Wasim quits Bollywood, says 'relationship with religion was threatened'
彼女はカシミール地方出身、名前が示すようにイスラーム教徒で、女優活動が非イスラーム的であるという理由で、デビュー作『ダンガル きっと、つよくなる』公開前後からイスラーム急進派の批判を受けたり過激派から脅迫されたりと剣呑な状態が続いてきたとか。
本人の意志という体をとっているものの真相は分かりません。辞めないでほしいと個人的には思います。インドの闇……と決めつけるのは間違っているかもしれないし、どんなものであれ意志は尊重されるべきだけど、これは時代に逆行しているのではなかろうか。
リアルインドでは
さて、作中のヒロインは中間層の都市生活者ですが、インターネットによって世界が開かれていく大波は、都市との格差が大きい農村にも押し寄せていて、「農民の子は農民」という古い価値観が作ってきた、夢も希望もないけれど予定調和の安定した社会が、スマホやネットの普及で急速に崩れ始めています。
いまだ井戸水で暮らしているような生活インフラが十分にない農村で、中国製の型落ちのスマホで、4Gの電波を拾ってチャットしたりYoutubeで世界中の動画を見たりする人たちに実際に会いました。
ざっくりとした印象では、農村でも2、3世帯に一台はスマホがあったような。昔の日本で一台のテレビにご近所さんが大勢張り付いていたのと同じような、一台のスマホをみんなで覗き込む若者たちの光景を何度も見ました。
そんな環境で「俺たち一生農民のまま」に疑問を持ったり、村の外に出てみたいと思う若い層は着実に育っていて。そのガツガツしたエネルギーに惹かれてならないし、できることなら自分もそのなかに片足を突っ込んでいたいと思っています。
リアル日本では
一方で、衣食住足りて、学ぶ機会も存分に与えられて、婚姻の自由、職業選択の自由がある、人がはるかに自由に生きられるはずの日本で、
「私はこう思う」「私はこうしたい」
を表現できていない人が多いことにもどかしい思いがします(自戒も込めて)。
先日、10代の若者と話す機会があり、気軽な感じで「いつかインドに行ってね!」と言ったら、
「そんな時間もお金もありません」
いわく、老後のために2千万円の貯蓄が必要だから、だそうです。その場にいた何名かが似たような考えで、おばさん、顔には出さなかったけど腰抜かすほどびっくりしました。
10代にそんなビジョンを持たせるのは罪というもの。ルールを守り知識を学ぶのはとても大切だけれど、日本の教育はなぜ、「生きていく力」を育てようとしないのでしょうね。
自分が何が好きで、何ができて、それを生かしてどう生きていくか。そういうことを考えさせないで思考を奪うばかり……という状況は、私が10代だったころからなにひとつ変わっていないように思います。
ろくな貯蓄もないけど、不思議と老後の不安がないのは私の心臓が強いせいなのか、アタマのネジがおかしいのか(おそらく両方)。せめてイキのいい大人でいようと思います。クサってる暇はない。
ってことで、『シークレット・スーパースター』もぜひご覧ください。レビューになってないな(笑)。