見出し画像

学ぶ方法の学び方:Anizine(無料記事)

どんなことでも「学ぶ方法」がすべてを決めると思っている。

数学や物理学の天才と呼ばれる人は、その分野を学ぶ方法を会得したから結果としてその立場にいる。アスリートでも同じ。目的を実現する方法を編み出すことは天性の才能よりも数百倍重要で、そちらのセンスは後天的に磨くことができる。

生まれつきの好条件として身長が2メートルあればNBAで一流選手になれるかと言えばそうでもなく、プロの世界ではそれが最低条件に近い。2メートルある人が集まった中で、さらに特殊な能力があるかどうかを試されている。もちろんもっと背が低くても活躍している人はいて、彼らは身体的なアドバンテージがない分だけもっと努力したはずだ。

学ぶ方法に「趣味」と言えるくらいの興味があるんだけど、俺は写真を撮るから、学者やアスリートのように専門分野の学問を究めた人がカメラを持ったらどうなるかを考えている。これは趣味ではなくて、転職するくらいのつもりでやった場合のことを想定している。趣味は他人から評価されない自由なもので正解がなく好き勝手にやっていいものだからだ。

つまり俺の仮説は「学ぶ方法」を一度でも会得した人は、別の分野でも職業的な一流になれる、というものだ。中でも音楽は写真と間隔が近いようで、高野寛さん、奇妙礼太郎さん、石垣愛さんなど、ミュージシャンが撮る写真の鮮やかな視点には驚かされる。

画像1

「今まで何も続かなかったし、うまくいったことがないんですが」という人には大変申し訳ない言い方だけど、次にやることも同じ結果になるかもしれない。たまたま自分に合った分野に初めて巡り会えてうまくいくこともゼロではないと信じているけど、そこで忘れられている重要なパーツのひとつが「学ぶ方法の学び方」なんじゃないかと思っている。

音楽をやってました、スポーツをやってました、という人は趣味としてならいくら言ってもいいんだけど、現在活躍しているミュージシャン、現役のプロスポーツ選手の存在価値とはまるで無関係。巨額な報酬や人気が得られるから誰でもそうなりたいだろうが、だからこそ競争率が高い職業に就ける確率は、とんでもなく低いということは誰にもわかる。厳しいけれど、私はそれを目指していたがなれませんでした、と自分で納得するべきなのだ。

なぜ私は彼と同じようにギターを買って練習したのにヴァン・ヘイレンみたいになれなかったんだろうか。そこを理解しなくちゃいけない。始めて数年で諦めてやめたのなら、原因は「続けなかったこと」だろうし、続けていてもできないのなら「向いてなかった」んだろう。

だから、学ぶ方法を一度でもクリアした人はすごいと思う。スポーツ選手が引退した後に畑違いのタレントになったりするのは、すでに有名だったから、という要素だけではない。転身して芸能界で生きるためにはどうすればいいかというテクニックを「以前の成功した方法」に置き換えられるからだ。新しく生きていく分野を理解し、そこに自分をアジャストできる能力が「学ぶ」ということで、今の例で言えば武井壮さんがどうやってタレントになったかを動画でググってみればわかる。

入場パスを持っていない人は、いくらスタジアムの周辺をウロウロしていようと、中に入ることはできない。趣味の観客としてチケットを買って入るのが真っ当な方法だ。入場パスがないのに「私は観客とは違う」と主張する人は、学ぶ方法を学んで欲しいと思う。

ここから先は

0字

Anizine

¥500 / 月

写真家・アートディレクター、ワタナベアニのzine。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。