見出し画像

冷静と乖離の間:Anizine

脳が左右別の判断をしながら同時に動いていたらどうなるか、と考える。

たとえば酒を飲んでいるとき、左脳は酔っていて右脳はシラフであるとか。酔っている自分を、そうではない半分の自分が冷静に眺めている状況には耐えられないんじゃないかと思う。俺はまったく酒を飲まないんだけど、みんなが飲んでいる場にいることはよくある。酒を飲む人はシラフの人に醜態を観察されることを嫌うから、もし自分の酔った姿を半分の自分が見ていたら、酒を飲むことはできなくなるんじゃないかと推測する。

言いたいことは酒には関係なくて、「酔っている自分と冷静な自分」という切り分けの問題。人はどんなに純粋であろうと、少しは他人の目を意識して違った自分を演じているものだ。そして度が過ぎると我に返ったとき自分がした演技に耐えられなくなって、夜中にベッドの中で自己嫌悪に陥る。できれば演じない方がいいことはわかっている。でも人からよく思われたいとか、ここではこう振る舞うべきという判断は誰にでもあるから、それほど責められることではない。

画像1

演技過剰な人をたまに見かける。そういう人はたぶん自己嫌悪に陥らなくて済む太い神経を持っているんだと思う。夜、ベッドに入ったらすぐに寝ちゃう。酒を飲むという行為も判断力を意図的に麻痺させているわけで「裁判長は法廷から出ていてくれないか」と被告が思っているのだ。頭の片隅に少しでも自分という裁判官がいるとハメを外せないからアルコールによる退廷を命じている。自己弁護という名の弁護士だけは隣に置いたままで。

また酒の話に戻っちゃったけど、冷静と情熱の間に介在するものは何かのたとえでわかりやすいのがドラッグやアルコールで、他にはちょっと毛色の変わった「高揚感」みたいなものもある。本当に考えたいのはこの部分。だから酒飲みがいいとか悪いとかいう表面的な話に反応するのは控えて欲しい。

脳がふたり分の種類の違う判断力を持っていたらどうなるか、という本題に戻る。

ここから先は

714字

Anizine

¥500 / 月

写真家・アートディレクター、ワタナベアニのzine。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。