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抽象的な話。

抽象的な話を書くぞ。

ちいさな子供がいるとする。

その子が捨て犬を拾って帰ってくる。泥だらけの汚い犬。それが見つかったら、お父さんは、「そんな犬は捨ててきなさい。病気がうつるぞ」と言うに決まっている。お父さんは潔癖症なのだ。

ある日の夕食の時、お父さんが「そう言えば、犬が欲しいと言っていただろう。血統書付きのを買ってやるぞ」と言う。ベッドの下に隠したあの犬はどうしよう。仕方がない。捨ててこよう。とても好きだったけど、雑種だし。

限界まで、できることの可能性を探って欲しいと思う。捨てる以外の代案はないか。血統書付きの犬は好きだったあの犬の代わりになるのか。お父さんに、捨て犬を育てていることを告白しようか。

誰も悪くない。子供も捨て犬も、血統書付きの犬も、お父さんも、みんな悪くないのだ。みんな、誰かのことを大事に思っている。できることの全力を尽くしたら、その出来事を忘れて幸福になればいいのだ。

抽象的な話だと言ったのは、こういう比喩を出しただけで、短絡的に「犬の話」を始める人がいるからです。話したいのは犬のことじゃない。愛情について、です。

今まで、自分が求めていた環境を自分で作れなかったことがない。できないのは努力不足だと思っていたし、それをクリアする努力は何の苦にもならなかった。むしろ、頑張ることが楽しかったり、うれしかったりした。

変えられないと思う人は、機転が利かないのだと思う。よく言われる「対案」や「代案」が出せない。仕方なくすることにしても、できるだけいい状況になる方法をいくつも探すことが重要だ。

時間は逆には進まないから、過ぎたことを言っても仕方がない。でも未来のことは100%思い通りになるのだ。まだ何も起きていないんだから。それをできないと決めつけずに、できる可能性があるなら、全部試してみることだ。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。