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育ちがいい:Anizine(無料記事)

「あなたは欲がなくていいですね」というようなことを言われたときに、冗談のつもりで「育ちがいいので」というと、高確率で場が凍りつきます。もちろん本当に育ちがよければそんなことを言うはずがありませんが、周囲の人々は本当にそうなのかと思ってしまってフリーズするのです。

これは多くの人が持っている「劣等感」を刺激するからだと思います。その最たるものが皇室や王室というエスタブリッシュメントへの憧れで、自分もあんなところに生まれたかったわ、と枝豆とビールを手にテレビでプロ野球を観ている庶民的な親を見つめながら思うのです。しかし99.9%の人はそういう環境に生まれ育っていますから、どんな場所であろうと「育ちがいいもので」と言うのは禁句なのです。

精神的な豊かさと物質的な豊かさには違いがあることもわかっています。今の時代はどんなに薄汚い商売をしようともお金をたくさん持っている人が正義ですし、周囲への発言権があります。彼らが精神的な豊かさを持っていることは多くありませんが、それについては個人の自由であり、その人々が考える「豊かさ」を追求することは勝手です。

問題はそこに群がる、オコボレを欲しがる人々です。

「おお、君らはオコボレが欲しいんだな、そらやるぞ」と言われて地面に投げられたお金を拾う姿はとても貧しく見えます。ある人が「昔付き合っていた女性がZOZOの前澤さんに『100万円欲しいです』とリプライしているのをたまたま見かけて、とても悲しい気持ちになった」という話を書いていましたが、そういうことです。何も持たない貧しい人が一番最後に売り渡せるものは「尊厳」ですが、一度売った尊厳は二度と戻ってきません。

目の前に投げられたお金を無視して通り過ぎる人に「そんなのはプライドを捨てて拾った方が賢いじゃん」という勢力の方が強いのですが、お金を拾う姿勢は前屈みになりますから、懐からボロボロとプライドがこぼれ落ちていきます。隣にいる人はその前屈みな姿を見ているのです。景気がよかった昔とは違って、今は誰もが過酷な時代を生きています。食べていくことさえ難しい家庭があり、国はその救済をしていません。もはや経済的な後進国と言えますが、その中で維持すべきだと思っている生活水準は以前と変わっていません。

ソーシャルメディアで見るような裕福な人々のライフスタイルと比べて自分は貧しい、と相対的な比較をしてしまうからです。こどもの頃に誰でも言われたであろう「人は人、自分は自分」という現状認識を大人が持てなくなっています。私の友人にはシンプルな普通の人からアホのようなお金持ちまでいますが、付き合う基準は「その人が無一文になっても楽しく話せるか」という一点に尽きます。経済はインデックス投資のように変化しますからお金持ちはお金がなくなったらそれで見捨てられます。それとは違って、人格は変化しません。

投げられたお金を拾う人なのかどうか、それだけなのです。プライドを捨てた方が賢いじゃん、というのは、尊厳を売り渡した人が他人からどう思われているかがわからない人です。人間の肉体は70%の水分と30%の尊厳でできています。「パパ活」などという言葉を面白がって使う人の肉体は、もはや70%の水分だけだと言っていいでしょう。


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写真家・アートディレクター、ワタナベアニのzine。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。