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闘牛士の失敗:Anizine

世界には70億以上の人がいて、それぞれに違う物語を持って生きている。誰一人同じ人はいないし、双子でさえ考えていることは違う。だから価値は「それぞれの違い」にある。知らない人の想像もつかない物語に触れることで、関わるはずのなかった世界を教えてもらえる。自分の物語を「取るに足りないモノ」と決めるのは自分自身ではない。他人にとって価値があるかどうかが重要だ。

ソーシャルメディアでは同時に「バルス」と言うんじゃなく、みんなが違う場所で、違う感情で見つけたことを書いて欲しい。その人が書かなければ世の中に存在しなかった尊いモノ。取りあえず、発表してみて欲しいと思う。読んでもらっても思ったより反応がないかもしれない。でもそれでもいいのだ。誰かの目に触れるということには必ず意味があるし、自分が自分の考えに客観的に気づいて変化することもある。

創造の対極に「消費」がある。誰かが作ったモノを批評することだ。あの映画はつまらなかった。あのテレビは面白くなかった、などと言う人がいる。それが批評というコンテンツを創造したことになるかと言えば、そう簡単にはいかない。批評とは極端に言ってしまえば、「作った人より上位の知識」が必要だからだ。

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何かを世の中に対して発表するのには勇気がいる。その「勇気」は発表した人にしか実感を持って手に入れられない。賞賛される喜びも否定的なことを言われる悲しさも含めてだけど、何もしなければ何も返ってこない。

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Anizine

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写真家・アートディレクター、ワタナベアニのzine。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。