見出し画像

尊属殺人:Anizine

家族の中で殺し合う、などの悲しいニュースを聞くことがある。

我々世代に残された心の傷は「金属バット殺人事件」かもしれない。1980年に、浪人生の息子が両親を撲殺した事件だ。多くの社会問題を含んでいたこの出来事はマスコミで連日報道された。

親や配偶者の直系尊属を殺した者には、明治時代から「尊属殺人罪」という加重規定があった(傷害致死なども含む)。1973年に日本国憲法下では違憲という判決が出て、1995年には刑法から削除された。これは家族という関係へのかなり大きな意識の変化を表していて、興味深い。

明治の頃の家族というのはおそらく今とはまったく違っていて、子どもが親に逆らうことはできなかったんだろうし、儒教的にも無条件に敬うことを求められていたんだろう。それは家族が社会から見た「治外法権」であり、家には家の法律があったことを意味する。

これだけ時代が進化しても、親がこう言ったから、と前時代的なことを理由にする人は多い。友人である幡野広志さんの『ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。』には、その呪縛から逃れる方法が鮮やかに描かれている。明治時代や昭和初期と家族の本質は変わらなくても、社会と家族の関わり方が大きく変化していることは、幡野さんの本を読めばよくわかる。

家族への愛憎は、距離が近いほど濃縮されやすい。引きこもりなどの子どもが接する「外部」は家族しかいないように。これは何も家族に限った話ではない。自分が関わる人の数や種類が少ないと、ひとつの価値観を濃縮させることに繋がってしまう。

画像1

金属バット殺人事件では、世間ではエリートと呼ばれる父親の価値観に子どもが抵抗したことが理由だろうけど、その価値観から自由になる方法を20歳になるまで知らなかったのは、家族の法律に守られていたからだと感じる。小学生じゃないんだから、成人した子が親と意見が合わないなら家を出ればいい。

ここから先は

456字

Anizine

¥500 / 月

写真家・アートディレクター、ワタナベアニのzine。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。