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有料記事と優良記事:Anizine

ソーシャルメディアの特徴として、プラットフォームが無料という問題があります。Twitterの不具合に怒り狂うとき、それを無料で使っていることを忘れている人もいます。もちろん見えない部分で収益化はしているんですが、自分が直接お金を払っている実感がないと、有料・無料という認識は難しくなります。AI の根幹にある「巨大なデータのインプット」に無料で提供した知識が使われることとも関係していて、プラットフォームは逆に利用者から無償で提供された集合知を獲得しているわけです。

つまりこどもが無料で遊べる公園があって、彼らが走り回ることによって発電しているとか、そういう類いの状況があります。利用者が「遊んでいる」というスタンスが転換され、誰かの発電の利益に寄与しているといった状態。これらの問題は公共財の考えとも関係してきますが、最終的なサービスの利用と、それを支える情報のプロバイダーの間でフェアなトレードができているかには敏感であって欲しいと思います。

どんなに新しいテクノロジーもそこに夢を見る人だけでは動かず、「部長、これは儲かりますよ」という下世話な感情と勘定がなくてはシステムは構築されません。そして「斬新なテクノロジー」と呼ばれるものはごく一部の天才の頭の中にだけあって、世の中に現れた時点ではすでに新しくはなく、「運用」という使い方の問題に落ちています。それは何か、ではなく、それを使って何ができるか、になっています。もしことさらに斬新な、と言いたいのであれば、まだ世の中に出ていないテクノロジーの話をするべきで、あるものについて語るのは「運用上手」というだけで、何ら革新的ではありません。

私たちは仕事をし給料をもらい、その中で何かを食べたり遊びに行ったり家賃を払ったりする配分を考えるので、「そこにお金を払うべきか」という選択こそが自分にとっての価値基準になります。

昔はレコードや CD を買うことは物質への対価でした。手に取れるモノを買っていました。しかし今はサブスクリプションだったり、配信やライブを聴く権利という無形のモノに変わってきています。提供する側は無限とも言える「聞く資格」を売っているわけです。これが大きなゲームチェンジであることは確かで、それが製造業などのように19世紀的な産業が下に見られ始めた原因でしょう。できるだけ手を動かさずに頭だけを使うことが正義と思われるどころか、AI では頭を使うことすら省力化したいコストだと考えられています。

さて本題に入りますが、経済的な選択が価値基準であるということがもたらすインフォメーション・デバイドについてです。

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Anizine

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写真家・アートディレクター、ワタナベアニのzine。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。