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「あるモノ」と20万円:Anizine

ソーシャルメディアでマネタイズをするということについて考えてみる。

俺は20年くらい前からくだらない日記みたいなものをネットにアップしていた。自分のHPのテキストファイルに< p >だの< br >だのとhtmlを打ち込んでいちいちftpにアップロードしていた頃の話だ。そういうローテクな時代を経て、今まではただ垂れ流していた無料の文章がこうして有料のマガジンになっている。

「note」ができてすぐにアカウントを作った。今年が開設7周年ということだからそれくらい前のことだ。今までにはなかった課金の仕組みが面白そうだったのだが当時は会員数が少なく、まだマネタイズというほどのダイナミックさは感じられなかったからやめてしまった。今はスケールも大きくなったので状況は変わった。

オンラインサロンみたいなものが世の中に認知されたことによって、誰かのデジタルコンテンツにお金を払うことへの意識の障壁がなくなってきた。俺が定期購読マガジン「Anizine」を最初に作ったときに印象的だったのが「やっとあなたの文章にお金を払えるのがうれしい」というメッセージをいただいたことだった。それまで無料で読んでいたことに心苦しさを感じていたというのだ。ありがたいとしか言いようがない。

去年、『ロバート・ツルッパゲとの対話』を出版して実物の本を出せたこともあり、俺のような何でもない人でも文章をお金に換えられる時代が来たのだなと幸福に思う。

ある友人が、本業がかんばしくないようで相談に来た。「自分でもnoteに何かを書けば読んでくれる人はいるかな」と言う。どんな題材でも読みたい人はいるはずで、芸能人だとかスポーツ選手みたいに特殊な存在でなくてもいいんだから、あなたもすぐにやってみるといいと助言しておいた。それから一年くらい経ったけど、いまだに始めた気配はない。

つまり、成功するか失敗するかを検証している場合じゃないのだ。彼は始めていないから何も起こらない。あの時すぐに始めて、もしもたったひとりでも月額500円を払ってくれる読者がいたとすれば、一年で(額面)6000円が生まれていたはず。6000円は地面を掘っても決して出てこない。

着なくなった服は箪笥に置いておけば何も生まないが、メルカリに出せば必要な誰かが買ってくれるだろう。それは「価値の移動」であって、お金儲けとは切り離すことができる。同額のお金で自分がまたメルカリで何かを買ってもいい。それだとプラスマイナス0円ですよね、ではない。飽きたものがなくなり、ワクワクするものが新しく手元にやってくるからだ。

感情を揺り動かし続けることで毎日は活性化する。それが無形のデジタルコンテンツであってもよくて、そもそも人類の歴史はずっと同じ「あるモノ」の流通で成り立っていることを忘れてはいけない。

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Anizine

¥500 / 月

写真家・アートディレクター、ワタナベアニのzine。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。