考えを成仏させる。
『ロバート・ツルッパゲとの対話』を出版するまでに時間がかかったのは、本の書き方を知らなかったからだ。内容のことじゃなく、いつも仕事でやっているような「進行」が理解できていなかった。
納得がいくまで推敲を重ね、「このダジャレは必要不可欠なのか」「このオヤジギャグは削るべきか」「同じダジャレを二度使うのは、ショーン・コネリーやジェームス・ケインっぽくないか」「そもそも全体にダジャレが多くないか」など、血の出るような文学的判断を強いられた。
そして最後にわかったのはただひとつ。そんなことはどうでもよくて「自分が誰かに何かを教えてやろう、なんてことを思わなければいい」である。
自分だけが何かを知っている、と思っている「教えバカ」の言うことはほぼ面白くない。誰も他人から啓蒙されたくなんかないのだ。
そこで自分が書くべきことは何かと考えて、バカの上流階級を目指した。自分よりバカが真剣に何か言っている。チャック全開で。これほどどうでもいいことはないのではないか。
毎日何かを見ていると、何かを感じてしまう。どんどん書き足したくなって、いつまでも原稿は完成しなかった。それをスパッと諦めたところで出来上がった。今感じたことは次に書くときに廻せばいいだけのことだと気づいた。
思ったことは全部、本に書いて忘れてしまう。二度と同じことを言わない。キリスト教的に言えば「成仏させる」。これが本を書く上で大事な進行だと知ったことは大きい。
多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。