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くるぶしから下の部分:Anizine

世界を過小評価する。

あるときそんな言葉が頭に浮かびました。世界は様々な事実の集合であり、思考の集積です。そのほんの一部分しか知らない我々がまるで宇宙の真理を知ったように何か言うことに意味はあるのかと思ったとき、「世界を過小評価すべきではない」と感じました。

そういう姿勢でいれば人前で「わかりません」ということは何も恥ずかしくない。むしろすべてを知っているように振る舞うことの方が浅はかです。ネット社会になって膨大なデータベースを手に入れたように感じている人々は、わからない、知らないと思われる恐怖と戦っています。

でもひとりの人間が一生で知りうる程度の知識で認識する世界を人体に喩えたら「くるぶしから下の部分」くらいのはず。くるぶしから下の部分だけで人間の体の全部を批評してみせるのは乱暴です。

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私は世界のことを何も知らない、という出発点に立っていると恐れるものはなくなり、傲岸不遜な知識自慢もしなくて済みます。そう言うと必ず反射的に「無知の知ってことですよね」なんて言う人が出てきますけど、それだってソクラテスのことをすべて理解せずに、キャッチコピーの一部を言っているに過ぎません。本当にソクラテスがそんなことを言っていたかなんて誰にもわかりませんし。

自分は何も知らないのだということを自覚しないと、世界を過小評価することになります。ほんの少しの情報しか持たず、見えていない部分を省略して語るわけですから。こういう人の多くは、自分が好きなモノだけで世界が出来ていて欲しい、それ以外のモノは見たくないし興味がない、と言って切り捨てますが、その姿勢がどれほど無教養であるかはわかると思います。自分にとって都合がいい世界像を箱庭のように作ることは自由で、他人から否定されるべきではないんですが、その視野で「世界とはこうだ」と語ってしまうとおかしなことになるのです。

さて、ここからは『こどもの埋葬』の中で書こうと思っていることです。

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Anizine

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写真家・アートディレクター、ワタナベアニのzine。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。