2年半ぶりのヨーロッパ:Anizine
長かった。
2020年の2月にParisに行って以来、この状況に閉じ込められてきた。まさに拘置所のようだ。小菅が懐かしいなあ。
今年、そろそろ行けるんじゃないかという話になり、ヨーロッパでの10日間のロケを計画した。我々写真家はその場に行かないとどうしようもない。昔、ある知人の先輩デザイナーと話していたとき、丁度刷り上がったという一冊の写真集を見せてくれた。テキサスの荒野が真っ赤な夕日に染まっている表紙。中をパラパラ見てみるとどれもいい写真だった。
「荒野の植物、サボテンとかタンブルウィードとか、こういうグリーン系の微妙な色は印刷で正確に出すのが難しいんだよ」と教えてくれた。日本ではほとんど見ることのない青白い植物の色が確かに綺麗に再現されていた。アメリカによくあるダイナーの写真に手が止まる。ちょっと太ったおばさんウェイトレスが常連客と思われるおじさんと笑顔で話している。
「いい雰囲気ですよね、こういうお店」俺が言うと先輩は、「だよな。俺も一度はテキサスに行ってみたいよ」と言う。そうか。広告撮影とは違って、写真家の作品としての写真集にアートディレクターが同行しているわけがない。でもそれなら現場でタンブルウィードの微妙な色を見たように言うな、とぼけてんじゃねえぞ、と思った。先輩だけど。
そんなことがいくつかあって、「写真を撮る人は必ずその場にいるのだ」という至極当然の事実が頭にこびりついていく。それがデザインから写真に気持ちが切り替わっていくタイミングだった。
たとえどうでもいい何でもない風景であろうとも、その場に立ってそこにいる人に会うということの価値に気づいていく。
それから何十年も経って、写真家になった俺は自分のカメラを持って、本物のテキサスの土の色を見た。
多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。