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答えがあるモノに興味がなくなった。
たとえばテレビのクイズで問題だけ出されて、答えを言わずに番組が終わったらどうなるか。モヤモヤするはずだ。だからどんなクイズ番組も答えを言うんだけど、「答え」が与えられることに慣れすぎていて、それが提示されないと怒り出す人がいる。
娯楽というのは「答え」の象徴のような気がする。カラオケで歌う、ゲーセンやテーマパークに行く。そこには変化も破綻もなく、期待通りの娯楽の答えが用意されている。
昔、あるミュージシャンがインタビューで「無人島でシンセサイザーがなかったらどうしますか」と聞かれ、「そこら辺にある枝や石を鳴らして、音楽を作るだろうね」と答えていた。
クリエイティビティというのはそこにある気がした。人を創造型と消費型に簡単には分けられないんだけど、消費しかしない人は創造のイメージを想像できにくいと思う。シンセサイザーがないと作れないに決まってるじゃん、などと言うだろう。
俺は「答えのないモノ」として写真を撮っているけど、そこに消費型に似た答えを当てはめるようなら、創造の意味がない。
俺がゲームをしないのは、プログラマーのクリエイティビティを、プレイヤーが上回ることは決してできないからだ。
多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。