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本物のギター:Anizine

日本というのは、つくづく幼稚な国だなあと思う。

言い方を変えれば、「幼稚であることに市民権が与えられている」というか。前に書いたことがあるけど、もう一度書く。どうせ誰も憶えていないだろう。

俺が中学生のとき、友人が段ボールをエレキギターのカタチに切り抜いたものを持って来て、放課後の教室でライブパフォーマンスを始めた。彼とは仲がよく、何かするときはいつも一緒だった。他の友人も翌日には自分の「ギター」を作って来てバンドに加わった。口で「ギュイーン」とか言うと観客である女子生徒が喜ぶのだ。

俺は都会の勘で、「これには加わってはいけない」と感じた。何か言いようのない違和感があったのだ。その理由はすぐにわかった。同級生のAくんとBくんは本物のエレキギター、ベースを持っていて本物の音楽を勉強しているらしく、それまでは知らなかったんだけどインチキバンドを彼らふたりが冷ややかに見ていたことで知ることになった。

俺の違和感はまさにそこにあって、幼稚園児ならおもちゃの楽器で遊ぶのはわかるけど、すでに本格的なギターをやっている人がいる状況から見たら「幼稚」なのだ。

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「大人になるというのは、本物を扱うことだ」と理解して定義したのがその瞬間だった。友人は俺に、お前もギター作って来いよ、とインチキバンドに誘ってきた。俺は「やらない」と答えたが、彼らがするくだらない遊びの誘いを断ったのはそれが初めてだったと思う。くだらないのはいつもと一緒だったが、これはどうしても嫌だった。

AくんとBくんは、それぞれロックとジャズの教室に通って勉強をしていることもわかって、俺の気持ちの萎え方もそれで加速した。本物のギターを本物の先生に学んでいる人と、段ボールのギターで格好だけ真似している人の差は何なのかを数十年経った今でも考え続けている。

大人になればプラモデルではない本物のポルシェが買えるから、免許が取れない年齢の子供とではプラモデルが持っている意味が違ってくる。

昨日書いた「学び方を学ぶ方法」という話にも続くんだけど、今のところ出ている結論は以下の通り。

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Anizine

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写真家・アートディレクター、ワタナベアニのzine。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。