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仏教ですよ:Anizine

文章の最後の言葉を、変えてみよう。

もう慣れちゃったけど俺が中年になってから意識していたのは、何かを感じたらその文章の最後を「ということがあって、楽しかった」と結ぶこと。

「ということがあって、腹が立った」と言ったり書いたりしてしまうと、その不満を増幅し固定化してしまうことに気づいた。だからどんなに自分にとって不利益なことがあろうと、楽しかったと思うことにした。

気持ち悪い自己啓発セミナーみたいなことを言ってるけど、試しにこれをやってみて欲しい。割とどうでもいいことでみんな「腹が立った」って言ってるのがわかるから。

昨日は『はじまりへの旅』という映画を観た。亡くなった最愛の人の葬儀をどうするかで意見が分かれる。それぞれの立場があるんだけど、主人公は本人の遺言にあった荒唐無稽な方法でお別れをしたいと考える。それに反対する人々の根拠は「常識的でない」だけだった。

つまり、自分がしたいことや求める結果には強い根拠があり、それをさせまいとする人の根拠は希薄な場合が多いってことだ。他人に流されることに慣れてしまうと自分が何をするときも人目を気にしながらするようになり、さらには自分の意見を言わないのが得策だと思うようにすらなる。

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で、最初の話に戻る。

文章とは事象の描写であり、意見の表明でもある。だから解釈だけ変えれば、軽々と事実が持つ意味は反転する。

銀行に行ったら残高がなかった。腹が立つ。政治が悪い。お金持ちは悪だ。

このように自分の残高が足りないことが、どんどん自分の外側にある「嘘」の方向に進んでいく。では、どうするのか。

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Anizine

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写真家・アートディレクター、ワタナベアニのzine。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。