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千葉の埋立地:Anizine

先日、ある人から「子供に何かを買い与える話」を聞いた。その人は若いけど立派な会社を経営していて、一般的な感覚からしたら裕福な部類に入るだろう。

子供に「与えすぎないようにする」という、扱いが難しい問題。他の子供たちが買ってもらえないようなものを日常的に買い与えていると、彼らはそれが手に入ることを普通だと思ってしまう。

子供の頃、特に俺が育った横浜では極端なお金持ちや貧乏な家の子が混ざっていたんだけど、そこに厳然とした差があったから、むしろ気が楽だったのかもしれない。家にプールがある子がいれば、親から50円がもらえなくて市民プールに行けない子もいた。

当時は「他人と比較しない」という感覚が世の中全体で機能していたような気がする。だから裕福な家の子が貧乏な子のことをバカにすることもなかったし、その反対もあまり見かけなかった気がする。

我々の世代は「うちはうち、よそはよそ」と親から言われたのではないかと思う。誰かがオモチャを買ってもらったから僕も欲しい、というようなことを言うと必ずその言葉が返ってきたものだ。

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今と比較すると、俺たちが子供だった昭和40年代の日本はそれほど豊かじゃない。「あのオモチャが欲しかったけど、買ってもらえなかった」と数十年前の恨みがましい話をする中年は多く、だからこそ自分の子供には買ってやろうとするんだろうけど、そこは簡単な問題じゃない。

アメリカなどではかなり小さい頃から子供に庭の草刈りなどをさせて、お金を稼ぐことを憶えさせるという。そのお金を貯めれば何かを買うことができるし、今自分が持っているお金で買えないものは「買えないのだ」と、早いうちに理解することができる。

親が子供に何かを与えるとき、惜しげもなくお金を使うべきなのはモノではなく「環境」や「体験」ではないかと思う。漫画を買うよりも色鉛筆を買ったほうがいいし、ディズニーランドに行くよりヨーロッパの古城に連れて行ったほうがいい。そう言うと「それこそ経済的な格差の問題だろう」と言われてしまうかもしれないけど、そうじゃない。どんなものでもコストには根拠がある。

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多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。

コロナに負けるな。勝ち負けじゃないけど。
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写真家・アートディレクター。着ぐるみの中は繊細です。1964年生まれ。「ロバート・ツルッパゲとの対話」 https://www.amazon.co.jp/dp/4908586071/