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王と飛車の無駄:Anizine(無料記事)

あらゆる面において「無駄」であることの意味を考えています。一見意味がなかったり、効率が悪いと思われることの中に大事な何かが隠されていないかと思うのです。コスパやタイパなどという英語の音節分割からして薄気味悪い略語を、さも賢いかのように使うのは語彙が貧しいと感じます。

人が生まれて死んでいくことは究極の無駄で、もし私が生まれていなかったとしても世界は今と何も変化していないでしょう。これが私が生まれたことの無駄です。私が生きていることでたくさんのものを食べ、たくさんのゴミを出し、多くの人やモノを傷つけたのは確実で、それを前提に考えるとこの世界にとってマイナスです。

しかし世界はそもそも無駄でできているのだと知るべきです。大きな功績を残したと言われている人々がしたこともすべて無駄です。ホームラン王になった人はスゴいかもしれませんが、そもそも野球が無駄です。大人が棒を振り回して丸くて硬いヤツを打ち、それを数万人が自分の労働の対価として受け取ったお金を払って、硬いシートに面識のない人と並んで座りながら観るのです。何よ、それ。

全部が無駄である限り、無駄をエンジョイすべきで、何も思い悩む必要はありません。何かの役に立つ、役に立たない、と振り分けたがる人はその根拠を使って「差別」を作り出します。政治家が「生産性のない人々」と言ってみたり、あの人より私のほうが優れている、お金を持っている、いいクルマに乗っている、と、ほの暗い井戸の中で蛙の振る舞いをするのです。貧乏臭くて、カエル臭くて、田舎臭い。

先日、ファッションの震源地である北千住に行ったのですが、地下鉄に乗るときは仕事場のある渋谷駅は使いません。あれほどわかりにくく出来の悪いダンジョン駅はないからです。たとえば日比谷線に乗るときは六本木、JRなら恵比寿までタクシーで行き、それらのシンプルな駅から乗ることにしています。渋谷から六本木までだいたい1800円くらいですが、そこから北千住までの地下鉄が260円。距離で考えたらアホほど無駄な金額の差があります。しかし、ここにかける無駄コストが、自分の精神の健康を維持しているのです。

行動というのはバランスですから、かかる労力、お金、時間などのうちでどれを自分が大事に思うかの選択で決まります。先日もなぜビジネスクラスに乗るのかという話を書きましたが、私の最優先事項は、隣に人がいないこと、広いスペースが確保されていること、他人にわずらされないし、他人もわずらわせない。これだけです。そこに「贅沢」などの価値観はありません。贅沢を感じたい人は、やはり貧乏くさくて、カエル臭くて、田舎臭いわけです。

貧乏と田舎、これと、貧乏臭い田舎臭い、はまったくの別物です。何度も言いますが、都会と地方の地域対立構造ではないんです。その証拠に東京のど真ん中で生まれ育ちながら「手応えのある田舎臭い知り合い」が何人もいます。彼らに共通するのは野暮であるということで、自分の持ち物がいくらしたとか、どれだけ手に入らない物か、などを言いたがります。

最近、過去の反省からか、お金の教育を語るのは下品であるという間違った上品さを否定する健全な動きが加速しています。お金の知識がないことは大人として恥ずかしいという当然のことで、知人や友人が何冊もそういった本を出しています。しかしそこにも「品」という区別はあって、ただお金を崇拝している人々は蔑まれます。お金というのは「入場券」だと思っています。それがあれば入れる場所の選択肢が増えます。しかし「そこに入りたいか」とは違います。「ワシは10億円のマンションに住んでいるんじゃ」と水商売のお姉さんに言いたいのはわかりますけど、他のみんながそこに住みたいと思っていると決めつけている感覚が、カエル臭いのです。

元々貧しい人が大金を持つことを成金と言います。将棋で言う「歩」が裏返って「金」になったという意味でしょうか。別に語源に興味はないのでコメントは不要ですが、自分は歩であったという過去への怨念が、金になった今の自分が復讐している構図を見かけます。これがダサいんです。生まれつき王や飛車の人もいますから、彼らのはしゃぎっぷりを王と飛車は冷ややかに見つめています。その視線に気づかない痛々しさは周囲を困惑させます。

王や飛車の無駄な物にかける洗練されたお金はすさまじく、成金はその境地に死ぬまで達することはできないでしょう。無駄な遊びというボキャブラリーを持って育っていないからです。そして同様に裕福であるという存在への想像力がない、お金を持っていない人から「お金持ちですね」と言われるジャストサイズのわかりやすい行動を取ります。このカエル臭さを感じるといたたまれなくなります。

ある食事会に行ったとき、「今日は私が払うから、一番高いワインを持ってこい」とソムリエに言った人がいました。その場にいた人々(特に女性)へのポーズなんでしょうが、こういうことを言う風刺漫画みたいな人っていまだに生息しているんだなと思って、感動と敬意を込めて、もらった名刺を帰り道でゴミ箱に捨てた記憶があります。この手の人とつきあうのは自分も同類だと思われて、損だからです。

お金を誇示する人を見かけたら、その人は生まれ育った環境が悲しかったんだなと思って優しく接してあげてください。私からは以上です。

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写真家・アートディレクター、ワタナベアニのzine。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。