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いくら正しいことを言っても:Anizine

大将、殿、カイザー。

言わずと知れた萩本欽一、北野武、設楽統の呼び名である。(敬称略)

なぜ、お笑い界で頂点にのぼりつめた人にはそういう名前がつくんだろうと考えた。また、この3人が東京の芸人だということにも気づく。明石家さんま、松本人志などには異名がつかないのだ。

関東と関西の笑いの質に違いがあることは、俺みたいなド素人が書かなくても皆わかっているだろう。西の芸人は「下から攻める」というか、私たちはアホですから、というスタンスを崩さない。やしきたかじん、上岡龍太郎タイプなどは数少ない例外として。だから、大将や殿、にはならないんだろう。

反対に、江戸の客からは「あの人は馬鹿を演じているが、中身は利口なんじゃないか」と感じさせる芸人の評価が高い。「江戸前」は生まれ育ちではないから、九州出身でも最初から東京というステージで才能を見いだされたタモリは江戸前に感じる。音楽との関わりがあり、クレイジーキャッツやドリフターズといった伝統とリンクしているところも含めて。

これは「利口な人が演じている馬鹿を見て笑っている私たちは、知的なのだ」という構造なのかもしれない。教養で理解するのがジョークなのだとしたら、東京の笑いはやや欧米のそれに近い気がする。

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笑いに対するスタンスでわかりやすいのは「子どもが真似できるか」という部分にもあらわれる。子どもが立川談志の面白さを真似ることは絶対にできない。ドリフターズで言うと、加藤茶、荒井注には単純なギャグのフレーズがいくつかあったけど、それをもっと前に出して子どもが真似しやすいようにしたのが志村けんだった。そこにはとても大きな、東京の笑いの変容があった。

俺たちの世代が関西のリアルな笑いに触れたのは、驚くべきことだけど20代を過ぎた頃だった。それまでは正月などに「やすしきよし」くらいしか大阪の笑いはテレビで見たことがなかったのだ。ダウンタウンが東京で知られるようになった時に「あれ、これは東京の笑いに近いな」と感じたことをよく憶えている。

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Anizine

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多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。