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面白さは「賞賛」と直結している:Anizine

面白いことを考えている人と会っていると特に何も思わないんだけど、面白いことをまったく考えていない人と話すと、「あの人たちは特殊な例外だったんだな」と初めて気づく。

どんな職業にも貴賎はないが、種類の違いはある。その職業で求められる基準が真面目さなのか、緻密さなのか、面白さなのか。裁判官なのにふざけている人はダメだし、芸人なのに真面目な人は同じようにダメだ。職業ごとの優劣ではなく、その職業の内部で評価される価値の違いがランキングになっていく。面白さの世界で一番だったり、法曹界・医学界・建築界などにそれぞれの優秀な人がいるが、職域をまたぐことは滅多にない。

俺はほとんどのモノを面白いか、面白くないかという一点で決めている。もうひとつだけあるとすれば、ダサくないかどうか。全然一点ではないけど、さらにオプションを追加させてもらうと、誰かの真似でないこと。これらを足すと「それまでに存在していなかった、面白くてダサくないモノ」が最上位にある。

面白い、というきわめて抽象的な言葉の輪郭を精密に削り出すため、残りふたつのサブ基準が必要になる。たとえば、誰かがテレビで見た芸人のギャグフレーズを真似すると「面白い」と言う人がいる。それは何も面白くない。オリジナルではないし、行為としてダサいからだ。

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面白さというのは「賞賛」と直結している。そんなに面白いことを考えついてあなたは偉いですね、ということだ。だから他人が賞賛された手柄を真似てみせることにはなんの価値もないばかりか、ダサいのである。俺がパロディを好きじゃない理由はそこにある。誰かが何もないところから生み出したモノ、何百年もかけて育て上げた価値などをお手軽にイジって、何かをした気になるのは褒められたことではない。「あなたも何もないところから生み出せばいいんじゃないですか」と穏やかな口調で言いたい。

友だちとのパーティで芸人の真似をするのはまったく構わない。それはギャグを作り出すことができない素人の遊びだからだ。でもそれを同業者である他の芸人がすることはない。自分にも別の新しいモノを作れるというプライドを失ったら仕事を続けることができなくなる。

昔、あるCMのプランナーが会議に持って来た企画コンテを見て驚いたことがある。今ほどお笑い芸人がCMでもてはやされていなかった頃のことだけど、そこには旬の芸人がキャスティングされていて、最後のオチのところにこんな説明が書かれていた。

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Anizine

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写真家・アートディレクター、ワタナベアニのzine。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。