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夏のソーシャルメディア:Anizine

ちょうど切りがいいので、7月から毎日何かしらのマガジンを更新しようと思って書いています。暑苦しいかもしれませんが、夏ってそういうものですから。

真面目なことを言うと、ソーシャルメディアの作法というものには多くの誤解があります。そもそもこの新しいメディアが生まれてからまだ数十年しか経ていないからで、作法が確定していないせいもあります。「私はこうしていて、そうしていない人は間違っている」などの論法を見かけますが、そのスタンスに疑問を持った方がいいです。人によっては小笠原流は間違っていると主張する人もいて、室町時代からの礼法を江戸時代に構築したものでさえ評価は定まっていないのです。

ネットでのコミュニケーションは草創期をかろうじて抜けたくらいですから、それぞれが違う流派を信じていることは致し方ありません。いがみ合うことには何も意味がないのです。信じるに値する指標はふたつあって、ひとつはわかりやすい影響力、いわゆるフォロワー数などです。その人が毎日書くことを読みたいとか、何かがあったときにその人の見解を知りたいと思う人の数がそれです。

ですから、「先日私が書いたように、EUの経済政策は間違っている」といくら発言してもフォロワーが80人しかいないとどうにもなりません。発言のサイズとフォロワー数は揃っているべきだというのは共通認識でしょう。もしもその人のEUへの提言に見るべき部分があって、定期的に有益な情報を発信しているとしたら、自然に1万人や10万人になるでしょう。なっていないなら「そうではない」と思われている証拠です。

ここはとても重要なのですが、フォロワーが少ないことや多いことを基準にするなという主張の脆弱性です。いま書いたようにフォロワーが多い人は元からそうであったわけではありません。時間をかけて蓄積された発言の実績です。面白いことを書いても感動することを書いてもいい。それらが「他人が読みたいコンテンツなのか」という判断に晒されていることは覚えておくなくてはなりません。

あなたが書店で本を買うときを思い出してください。自分が買う本以外の膨大な本は目に入らないはずです。その膨大な本の著者にあなたが「売れてはいないが、部数で内容を判断するな」と言われて納得できるでしょうか。そんなことを言うなら私に買いたいと思わせてくれ、と感じると思います。本の部数やフォロワー数がすべてでないことはわかっています。しかし、なぜあなたが手に取った本は売れているのかを考えてみてください。いい内容を書くことだけではなく、多くの人々に売るための努力も必ずしているのです。

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Anizine

¥500 / 月

写真家・アートディレクター、ワタナベアニのzine。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。