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浪費されるランチタイムの10分:Anizine

「生きている」という言葉が何をあらわしているかは人によって違う。闘病中の人、健康な人、何かを始めた人、誰もが物理的に同じ進み方の時間を過ごしていながら、1秒が持っている価値にはそれぞれ違いがある。

若い頃に言っていて今は絶対に使わない言葉が「時間をつぶす」だ。暇をもてあましていた証拠だが、よく「ヒマだなあ」と思っていた気がする。アスリートのように時間を惜しんで練習したり試合に出たりしていた同世代の人々には目的を持ったまったく別の時間の流れが合ったんだろうと思う。それを充実と呼ぶかどうかはさておき、俺にはヒマがあった。

今から思えばその「ヒマという負債」を返して欲しいと当時の自分に対して思う。自分のために使うべき時間はとても大事だから、つぶすべき時間などどこにもなかったのだと気づいたときにはもう手遅れ。

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遅ればせながら、そう理解してからの時間の使い方は大きく変わった。仕事でもプライベートな場でも、何のためにどれだけの時間をさくのかを冷静に判断すると、他人由来の時間の浪費が許せなくなってくる。自分に残されたエネルギーをお金に喩えたら、時間の浪費は穴の空いたポケットから小銭をまき散らしながら歩いているように見えてくる。よくあるビジネス本のように「時間を無駄にしない人が勝ち組」とかいう話じゃない。どの部分に時間を使っているのかに自覚的でないと、生きていることが無駄になるということだ。

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Anizine

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写真家・アートディレクター、ワタナベアニのzine。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。