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ゴロワーズを吸ったことがあるかい

20代の終わり頃、横浜の中華街に食事に行った。

我々横浜の人間が「横浜の中華街」などと言うことは決してないんだけど、読んでいる人に「神戸の?」「ニューヨークの?」と誤解されないようにあえて書いている。伝えたいことじゃなくて、伝わったらいけないことを排除する。これがコミュニケーション・デザインの仕事だ。全然本題とは関係ないけど。

雑貨と骨董品を売っているちいさな店に入ってみた。ショーケースの古い時計が気になったので店主に出してもらう。シンプルなROLEXだった。その時まで自分の頭の中に「ROLEX」という文字が浮かんだことがなかったので、なんというか、運命的に出会ったという印象が強かった。

ただの先入観で、そういうブランドの時計はイケすかない業界人などが見せびらかすためにつけているモノだと思っていたが、何の準備もなく香水の瓶と一緒に並んでいるその時計を見つけてしまったとき、おかしな言い方だけど、ケナゲさみたいなものを感じた。「これはうちに連れて帰りたい」と思ったのだ。

値段を聞くと10万円くらいだった。百万円くらいするんじゃないかと思い込んでいたので拍子抜けした。10万円ならいいじゃん、と思って買った。帰る途中に書店に寄ると、今まで一度も目に入ってきたことがない「ロレックス読本」みたいな本や雑誌を見つけたので何冊か買う。

コレクターではないんだけど、元々ソフトでもハードでも成り立ちやメカニズムを知るのが好きなので全部の本をその夜、隅から隅まで読んだ。

「このロレックスというメーカーはスゴいな」

と、他の多くの人が知っていることに今更バカ独特のIQの低さで気づく。自分が買った時計は60年代のドレスウオッチだと本を読んでわかった。他にもダイビングをする人にはこれ、ストップウオッチがついているタイプがこれ、と興味をそそる情報が、野村で言えば、満載だった。

次の週末、すでに中級者くらいの知識を身につけていた俺は、ふたつ目のロレックスを買う鼻息の荒さで出かけた。同じように見えるモデルでも時代によって細かいところが違う。店に並んだ数百の時計が全部文字列にでもなったかのようにインプットされていく。俗に言う頭でっかちの時期である。

その日はGMT MASTERという、周囲に青と赤のベゼルがついたモデルを買った。その頃は今と比べてヴィンテージモデルが安かったので、多分50万円くらいだったと思う。それを家に帰って本を読みながら眺める。このタイプは石原裕次郎さんが愛用していたらしい。ワイシャツをオーダーするときにはギザギザのベゼルで生地が擦れないように、時計をする方の袖を5ミリほど短く発注するのだ、とか、まあ読み物としての時計の話は面白かった。

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こうなると止まらない。他にモノを買うことがなかったから、片っ端から何でも買った。GMTには2もあるのか、ベゼルは赤と黒もあるのか、などと言っているうちに数十の時計が部屋に並んでいた。これらはすべて機械式の自動巻きなので毎朝、全部の時計をネジネジと巻く。動かしていないとよくないからだ。コレクターは機械で自動的にグルグル回る箱に入れているんだけど、俺は愛情がないような気がしたから、その箱は買わなかった。

当時勤めていた銀座の会社に行くときに時計をするのを忘れた日があった。会議をしていてもパンティをはいていない気持ちになって落ち着かなかった。銀座というのは悪いことに、時計屋さんが多い。ランチのついでにサブマリーナというのを買って会社に戻った。社員で時計に詳しいのが一人いて、「もしかして、今、時計買ってきたでしょ」と言われ、「サブマリーナの現行モデルを買ってきた」と箱を取り出して見せる。彼が「新品か。サブは70年代のプラスチック風防の方がカッコいいのに、わかってないなあ」と言うので、「それもいいのがあったから、ついでに買ってきた」ともうひとつ見せる。呆れていた。

モデルの駒崎くんとミラノで遊んでいたとき、世界一時計マニアが多いと言われるその街で、素晴らしく綺麗なエクスプローラーを見つけた。確か70万円くらいだった。亡くなったお父さんが売り物ではなく自分用に大事にしていたモノだ、と店を継いだ若い店主は言っていた。俺とコマちゃんは翌日も見に行って、悩みに悩んだけど結局買わなかった。そのモデルはアホみたいに高騰していて今では数百万円で売られている。でも投機目的じゃないからそれについては何も後悔していない。

そしてある日の朝、いつものようにシェルフに並べた数十本の時計をネジネジしていたら、「そう言えば俺の左腕は1本しかないのに、こんなに必要かな」と疑問を持ってしまった。あっという間に熱が冷めて、普段用のロレックス・シードゥエラーと、スーツを着るときのブレゲ・アエロナバルの2本だけを残してすべて売ってしまった。

かまやつひろしさんが『ゴロワーズを吸ったことことがあるかい』の中で、アンティークの時計でもバーボンでも、たとえちいさなことでも、狂ったように何かにこるほど、人間として幸せな道を歩いて行ける、というようなことを歌っている。

まさにそれだった。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。