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理解のガードレール:Anizine

ソーシャルメディアでは、すべて自分が思ったことを自分のために書いている。誰でも読める場所に書いているから、当然だけど意見が違う人が読んだら「私はそう思わない」と感じることがあるかもしれない。

もし、こうあるべきだと書いたとしても、それは読み返す未来の自分(もしくは抽象的)に言っていて「あなたはこうあるべきだ」と特定の誰かに向けて書くことはないんだけど、何かしらの弱さを抱えている人は、自分を否定されたと感じることがある。「内容は理解できたが、そうできていない自分には耳が痛い」というコメントをもらうからそれがわかる。

自分ができていないこと、うまくいっていないことに対して持っている引け目のような傷口をえぐられたと感じるのだろう。そのひとつの理由は、すべての言説が「お客様相談室」として存在するべきだと思っているからではないかと思う。誰かがカタチにして言う何かは、つねに「私の快適さ」に繋がるべきだとする考え方。

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怪我をしている人を見たとき、「あなたは怪我なんてしていませんよ」「そのままでいいんですよ」と言ってあげるのは優しさではない。それは問題の先送りや、無視という冷たさだ。

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Anizine

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写真家・アートディレクター、ワタナベアニのzine。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。